あむみの 九州思いつき旅行
9月11日
旅行の計画を立てる
明日九州コンパがあるというので、そのついでに九州を観光しようといきなり九州旅行を思いつく。
高野に電話する。「明日暇?九州行こうぜ。」「僕、バイトがあるから。」
余裕で断られる。(当たり前だ。)
9月12日
博多に向かう
東京−博多間は、新幹線のぞみでは5時間半、ひかりでは6時間半ということで、朝6時に起床して東京駅に向かう。
ブルジョワチックにのぞみで行こうと試みるが、満席のため仕方が無くひかりで行くはめになってしまった。(よくよく考えてみると、12,13,14,15日は土、日、月、火(敬老の日)となっており4連休の初日であった。どうりで混んでいるわけだ。大学生をしていると曜日感覚が麻痺してくることに気付く。後ほど判明したことだが休日が不定期なJR社員も曜日感覚が麻痺していた。)
博多に着く
午前9時に出発して、午後3時半に博多に着く。
博多駅に福永さんが迎えに来ていてくれるはずだったがいない。(ここで見捨てられたら終わる。)
不安感と格闘しながら周りをキョロキョロ見渡しているときに(殆どお上りさん状態)、無事福永さんに捕獲される。
深山号に乗せられ深山邸に連れてって貰う。

深山号には女性が一人乗っていたので、初めは森田さんかと思ったが、なんと瑞さんだった。(神出鬼没。)
夕方5時に士郎さんと森田さんと待ち合わせだったが、少し時間が空いていた。
飲み会が始まった。(今回はこればっかり。)
キリンの博多工場で作られた博多限定物のビールを頂く。うまい。
福岡ドームに行く
西鉄福岡駅周辺(←お上りさんなので何処が何処だか分からない)で士郎さんと森田さんと合流して、福岡ドームに向かう。
さすが地元福岡だけあって、ダイエーサイドのチケットは売り切れで、チケットが近鉄サイドの物しか入手できなかった。
これでは面白くないと言うことで、このチケットのまま強引にダイエーの応援席に行く。(この行為は果たして合法的なのだろうか。)
無事(←無事か?)にダイエーの応援席に着きビールを飲む。(こればっかり。)
福岡ドームの観客は殆どダイエーファンで、近鉄の応援席もダイエーファンで埋め尽くされていた。(近鉄の応援団は申し訳なさそうに近鉄の応援(の為に用意されたのであろうと思われる)席の最後列で細々と応援にいそしんでいた。)
僕達の前にいたちびっ子達が野球に飽きて遊び始めた。
そのちびっ子の遊びにつき合ってあげ、最後に記念写真を撮った。(後から見返すとその写真は殆どロリコンおやじ状態だった。)



試合の方はダイエーの勝利で最後にビールで乾杯。(こればっかり。)
メイン行事(福岡コンパ)
深山さんの行きつけの店に行く。
「牛のさがり」(牛の横隔膜)を初めて食する。
ダイエー勝利の祝勝会も兼ねて飲みまくる。(こればっかり。)
福永さんといつの間にか飲み比べをしていた。(記憶にない。飲み過ぎているときは、飲み過ぎて苦しくなることに気付かずに、更に飲み過ぎてしまうという相乗効果が発揮された。)
だんだんエスカレートして今度の一橋際では福永&深山組と飲み勝負をすることになってしまった。(もうどうにも止まらない。)

その後カラオケに行った。(断片的な記憶しかない。瑞さんはいつものように歌わなかったみたいだが。)

その後深山さんの家に宿泊させて貰った。
9月13日
博多ラーメンを食べる。
昼過ぎに起きる。福永さんは起きない。(深山さんに蹴られて起床。)
博多に来たからには博多ラーメンを食べなければということで、おいしいラーメン屋に連れてって貰う。(無論何処だかは分からない。)
ついでにビールも注文する。(こればっかり。)
うまい。(ここで博多ラーメンにはまってしまい、これ以後の旅行では殆どの食事でラーメンを食べることになる。東京のラーメンはショボい。)
安い。(450円。替え玉して550円。じゃんがらラーメンは高い。)
博多観光をする。
玄界灘をドライブする。(世の中平和だ。東京は台風が来るというのに。)
大濠公園でだらだらする。(世の中平和だ。)
ボーリングをする。(世の中平和だ。何故博多にまで来てという声は無視。)
キャナルシティー福岡に行く。ビルの中を運河が流れており、とても幻想的な建物。
その中の店で夕食として焼き肉を食べる。(飲み会後の焼き肉は格別にうまいとの話。)
単なる夕食ではないな、という悪い予感がしていたが、見事に的中。
まずは生中を注文する。(こればっかり。)
深山さんの御言葉によりこの店は生大もあるということで、2杯目以降は生大となる。
その後キャナルシティー内にあるジョイポリスに行く。(内海さんの職場をバーチャル訪問。一体内海さんはジョイポリでどのような仕事をしているのだろう。そして奥さんも。)
宿泊場所を探す。
深山さんが明日からお仕事ということで僕は宿無し少年に没落。
博多駅前のエスパというカプセルホテルまで深山号で送って貰う。
4000円弱で泊まれる割には綺麗な風炉とサウナが設備されていて、気分は既にブルジョワジー。
深山さんのアドヴァイス通りに、風炉あがりにリラックスルームでカレーを食べながら生ビールを飲み、極楽気分を十分に堪能する。(もうここら辺から欲望の赴くままに行動するようになる。)
ニュースを見ながら寝る。
9月14日
博多脱出
ぐうたららしく午前9時起床。(チェックアウトは11時までというお気楽な所だった。)
「熊本にちょっくら行ってこようかなー」といういい加減な気持ちで博多駅に向かう。
博多駅について大切な事を思い出す。「士郎さんは今働いているのでは」と。
戦慄のカメラ小僧の血が蠢きだし、新幹線の改札口に向かう。
士郎さんを発見。
一般人を装い(実際に一般人なのだが)カメラを構える。
「すみません、ちょっといいですか?」「写真撮ります。」 士郎さんを激写。

その後熊本へと向かう。
熊本に着く
特急に乗るとお金が勿体ないので普通で行く。(昨日までのブルジョワ気分は何処へ行ってしまったんだ。)
博多−熊本間を普通で3時間かけて旅する。
ここでJR九州についての感想。
- 駅名を告げるときはワイルドに放送。EX「次はー、大牟田―(←ここの地名を限りなく大声で)、大牟田でございます。」
- 熊本駅のホームではグレイの「soul love」が流れていた。(なんてポップスな駅なんだろう。)
熊本駅に着き熊本市電に乗り換え、熊本城、熊本城公園に向かう。
自然に親しもうと言うことで、熊本城公園を散策。(と言う美名の下に今晩眠れそうなベンチを探す。結構本気だった。)
腹が減ったので熊本ラーメンを食べようと思い、繁華街をぶらつく。
長浜ラーメン=熊本ラーメンと勝手に勘違いしていて、わざわざ熊本にやって来ながら長浜ラーメンを食する。(後ほど士郎さんから聞いたのだが、長浜ラーメン=博多ラーメンと言うことで。どうりで味が博多ラーメンと似ているはずだ。←当たり前だ。)
阿蘇山へ
その後時間がかなりあったので、阿蘇山に登ろうと思いつき熊本駅から阿蘇線に乗り、阿蘇山へと向かう。

同じ熊本県内であるが、阿蘇山に近づくに連れて車窓からの景観がどんどん昔にタイムスリップしていくようだった。(大自然に囲まれてきたとも言える。)
そして時代はSLが走っている時まで遡った。(本当に走っていた。名前は「阿蘇BOY」。多分観光用。しかしネーミングがちょっと・…。)
宿代をけちって阿蘇山麓にあるキャンプ場に野宿するしかないと思い山を登る。(もう完全に落ちぶれたブルジョワジー状態。)
しかしキャンプ場は7,8月のみ開設で僕が行ったときは門が堅く閉ざされていた。(ど不幸すぎる。どうりで山道に蜘蛛の巣が張り巡らされていると思った。)
しょうがないので近くにあった阿蘇ユースホステルに宿泊する。(1泊2000円。)
ユースホステルのおっさんはとてもいい人で阿蘇の見所、ハイキングコースを丁寧に教えてくれた。
9月15日
阿蘇登山
阿蘇で一番綺麗な景色が見えるというキジマ岳に登る。
間違えてサンダルで来てしまったので、重装備の本格的登山家の人達に対して後ろめたさを感じつつも、ワイルドに一気に登る。(実は山をなめた姿を見られたくないため。)山頂からの景観はこれが日本かと言うほど壮大。
カメラ小僧なのでこの風景を激写。

次に高岳の噴火口に登る。
亜硫酸ガスが吹き出していてかなりデインジャラス。
ここで士郎さんのおみやげに硫黄を買う。(これを貰ったら一体何に使うんだろう。)
博多に帰る
今晩はJRの寮に士郎さんが泊めてくれると言うので、下山後博多に向かった。
夕食まで時間があったので、士郎さんと森田さんに九州大学を案内して貰った。(九州大学は滅茶苦茶広い。しかし文系学部はなんだかほされていて悲壮感が漂っていた。一橋でいうと佐野書院みたいな位置に文系学部の校舎がぎっしりと詰まっていた。)
夕食は中華風の店に行った。
ここで初めて口にした物。
- 蛙の唐揚げ
普通のチキンみたいだけどこれが蛙と思うとグロい。
- ミミガー
豚の耳らしいが真ん中に白い筋があって、周りに原型は耳の肉と思われるゼラチン質状の物が付いていてグロ過ぎる。
- ウーロン茶アイス
初めはアイスで後味はウーロン茶の不思議な食べ物。結構いけてる。
次に屋台で初めてラーメンを食った。(外で食べる物はおいしさが何となく増す感じ。国立の屋台よりは数段格が上だ。)
JRの寮へ
JRの寮へ泊めて貰うために移動。
個室でなかなかいい感じであった。
風呂に勝手に入ってしまった。(そこで他の社員に遭遇するが僕も社員のふり。)
士郎さんの部屋にはプレステとセガサターンがあった。(仕事は暇なのだろうか。)
9月16日
太宰府へ。
この日は士郎さんが博多周辺を案内してくれた。(仕事は暇なのだろうか。)
朝は管理人が居るので僕は非常口から脱出。
客が誰もいないマックで朝食をとる。(暇すぎて定員同志が立ち話をしているマックというものも初めて見た。)
西鉄線で太宰府に向かう。
学問の神様がまつわられていると言うことだが、学問以外の願い事も絵馬に書かれていた。(いけないことと知りつつも、他人の願い事というものは気になるものだ。明らかに受け狙いという物から、惨憺たる悲壮感が漂う物まで、バラエティーに富んだ願い事があったので、しばらく観察してしまった。罰が当たるときは士郎さんにも当たるであろう。)
志賀島へ
午後からは金印が見付かったという志賀島にフェリーで行った。
この日は関東周辺に台風が押し寄せているというニュースを聞いたが、福岡では雨は降らずに風が吹いているだけだった。(この風に後で痛い目に遭う。)
志賀島は周囲が10キロ程度なので、国民宿舎でレンタル自転車を借りて健康的にサイクリングをする。
金印が見付かったという金印公園に辿り着くがあまりにもショボ過ぎて何も言えない。
(と言うか何かをコメントするほどの物がない。一応金印が見付かったのであろうと推測される場所に記念碑が建っていた。これも注意を払わないと見逃す。漢倭奴国王もショボい人物と推測。)
その後何かがあるのではと言う期待感を抱きながら島を一周したが、いつの間にか元の場所に戻って来てしまった。(ど不幸すぎる。一体何のためにフェリーが出ているんだろう。)
その後志賀島と九州島を結ぶ橋の上に屋台みたいな店があるというので行ってみることにした。(もう最後の頼みの綱。)
しかし店はあったが閉まっていた。(泣。)
僕達を待ち受けていた物は、台風のために発生した暴風とそれに便乗した砂の嵐だった。(滅茶苦茶痛い。本当に痛い目に遭ってしまった。どうりで店が閉まっているはずだ。)
九州撤収
夕食を一緒に食べて東京に帰ることにした。(そろそろ遊びすぎを感じてきた。と言うか着替えを持ってこなかったため(←夏合宿から進歩がない。)服が汚くなってきた。砂漠の嵐を浴びたし。)
博多料理(みたいな物)を出してくれる店で、宮崎名物であるチキン南蛮をいただく。(何となくこの旅行、食べ物の産地と食べる場所がちぐはぐであった。)
チキン南蛮にはマヨネーズが掛かっていた。(初めて見たが地元では普通らしい。これは冷やし中華にマヨネーズをかけるか否かという問題と酷似である。)
最後はきちんと締めようと言うことで、新幹線のぞみで東京に帰る。
ライトアップされた明石大橋が見える夜景を通りつつ優雅に旅を終える。
では、Good-bye(by平山)
文章&写真:堤あむみ
st53189@srv.cc.hit-u.ac.jp
|