手榴弾・擲弾・爆雷等−2

 


★大正七年三月制定手榴弾/大正八年九月制定手榴弾

 明治40年に制定された「明治四十年三月制定手榴弾」は、「チンタオ出兵」直前の大正3年5月18日に「陸普第一四七一号」によって、「撃身」に小改正が施され「チンタオ出兵」とそれに続く「シベリア出兵」へと使用される。

 さらにこの「手榴弾」は「チンタオ出兵」等の戦訓を踏まえ、大正7年3月23日に「陸普第八七五号」で、「撃身」と「弾尾」に改正を施したものが新たに国軍手榴弾名として制定される。このときの改正で「弾尾」は従来の「木綿布」から「シュロ」ないし「藁」紐へと変更になる。

 この「大正七年三月制定手榴弾」の初陣は、「シベリア出兵」時の大正7年8月22日の「クラエフスキー付近の戦闘」で、「第十二師団−歩兵第二十四聯隊」の稲垣清大佐指揮の「稲垣支隊」が対パルチザン戦で使用したのが最初である。

 続いて「シベリア出兵」下での、「撃身」頭部の容積の増大による「著発率」の向上と、寒冷地での「ゴム筒」の凍結による手榴弾の不発を防止するため「ゴム管」に替わって「ばね」を採用するとの理由より、大正8年9月27日に「陸普第三六六九号」によって「大正七年三月制定手榴弾」は、「撃身」部分と「ゴム管」に代わり「ばね」の採用といった2カ所の変更を受けて、「大正八年九月制定手榴弾」へと変革していくのである。

 この「大正八年九月制定手榴弾」制定へのいざないであるが、「第三師団−歩兵第五十一聯隊」が「陸軍歩兵学校−特殊兵器審査委員会」へ送った改善要求が端であり、内容には「弾尾」の「しゅろ」のたたみ方が固すぎる物が、携行中の「弾薬箱」の中で変形してしまい、投擲時に弾道に影響をもたらすほか、「撃身」固定用の「ゴム管」より「撃身」が抜け落ちたり、シベリアの激しい寒気による「ゴム管」の凍結によるによる手榴弾の不発などである。

 

 

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大正七年三月制定手榴弾

大正八年九月制定手榴弾になると、上図の「ゴム環」が「ばね」へと変更されるほか、「撃身」部分の接地面積が増加される。

 

 

★大正七年三月制定手榴弾/大正八年九月制定手榴弾データー

  重 量      約500グラム

  炸 薬      黄色薬

  炸薬量     約30グラム

  信 管      著発信管

  威力半径    約5メートル

 


★ 大正九年三月制定手榴弾

  「大正八年九月制定手榴弾」の「シベリア出兵」の戦訓をもとにして、「陸軍技術本部」と「陸軍歩兵学校」が研究の末に各部に改良を施して、大正9年3月に「陸普第一二六九号」で制定された手榴弾。

  鋳造製の「弾体」が、破片効果向上の為に溝が設けられている。


 

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大正九年三月制定手榴弾

 

 

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大正九年三月制定手榴弾

 


★大正九年三月制定手榴弾データー

  全 長   435ミリ

  弾尾長   310ミリ

  直 径   49ミリ

  炸薬茶   褐色薬

  炸薬量   65グラム

 


★急造手榴弾

 欧州大戦での「塹壕戦」での膨大な「手榴弾」の消費に対応すべく、今後起こりうる戦闘において国軍の「制式手榴弾」を補助するものとして、簡単な製作機材にて前線部隊での簡易生産を目的として大正7年に考案された「急造手榴弾」。

 考案された「急造手榴弾」には、以下に挙げる「導火索」で点火する「急造曳火手榴弾」の「甲型」と、簡易信管を備えた「急造著発手榴弾」の「乙型」がある。

 


●甲型急造手榴弾(急造曳火手榴弾

 ブリキ缶や空き缶等の中に、工兵の爆破用の「一〇〇グラム円形爆薬」と、破片効果用の釘・針金等を納め、点火用に「雷管」を装置した10センチの「導火索(「導火線」の国軍名称)」を取り付けたもので、マッチで点火後に敵に投擲する。


 

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甲型急造手榴弾(急造曳火手榴弾)


甲型急造手榴弾(急造曳火手榴弾)データー

重量  500グラム

直径  7.0センチ前後

全長  10センチ前後

炸薬  黄色薬300グラム

 

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●乙型急造手榴弾(急造著発手榴弾)

 英軍の制式手榴弾である「マーチン・ヘイル手榴弾」・「一號手榴弾」に発想を得た急造手榴弾。

 「円形黄色薬」を納めたブリキ筒の「弾体」の頭部に、「釘」と「雷管」を利用した「急造簡易著発信管」を装備した簡易手榴弾。「弾体」には破片効果用の「鉛帯」と弾道安定用の布製の「尾」が付随している。

 投擲する場合は、ブリキ製の「弾帽」に刻まれている「みぞ」を、「安全位置」から「撃発位置」に回転・移動させた後に投擲する。

 

 

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乙型急造手榴弾(急造著発手榴弾)

 



乙型急造手榴弾(急造著発手榴弾)データー

重量  500グラム前後

直径  4.5センチ前後

全長  18センチ前後

炸薬  黄色薬300グラム前後

 


★甲号擲弾銃

 日露戦争終結後より欧米では塹壕戦闘兵器としての「擲弾銃」の開発が開始され、国軍でも日露戦争の戦訓と輸入した「マーチン・ヘイル擲弾銃」等をもとにして「榴弾」を発射する近接歩兵支援機材である「小銃擲弾」の開発がなされたのである。

 当初は国軍の基幹小銃である「三十年式歩兵銃」・「三八式歩兵銃」をベースにする予定であったが、弾薬重量の都合より重い重量の弾薬発射には大口径の銃の方が都合がよく機関部には「十八年式村田銃」が用いられ、大正3年7月にとして制式採用がなされ十月に勃発した「青島攻略戦」に初参加している。

 機構としては基幹部に「十八年式村田銃」を使用し、緩衝と弾薬保持のためコイルスプリングの巻かれた45センチの銃身と二脚が付随している。射撃には「空砲」がもちいられ、「射手」と「弾薬手」が2名一組となり「射手」が二脚で地面に銃を固定すると同時に、「弾薬手」は擲弾の本体に柄捍を装着した後に銃口に弾薬を装填する。続いて「射手」は照準の後に「引金」に結びつけられている「引紐」を引いて射撃する。

 射程距離の変更は銃の角度と、擲弾の「柄捍」の銃身への挿入長で調整され、弾薬は「榴弾」であり鋼製の本体に「著発信管」を装備した重量1キロのもので「弾薬手」が5発入りの「弾薬箱」で携行する。

 実戦での参加は、大正3年の「青島攻略戦」で「独立第十八師団」が使用したのが最初で、10月25日に他の攻城資材と共に「甲号擲弾銃」が「師団」に到着し、指導には「陸軍技術審査部」の「伊勢喜之助砲兵中佐」が教育・指導を担当した。

 11月2日の敵本防御陣地の攻略に、「左翼隊(歩兵第六七聯隊・歩兵第三四聯隊)」−26丁・「第一中央隊(英バナジスト少将の指揮部隊に工兵1個小隊を配属)」−4丁・「第二中央隊(歩兵第四八聯隊・歩兵第五六聯隊)」−50丁・「右翼隊(歩兵第五五聯隊・歩兵第四六聯隊)」−50丁の計130丁が配備され使用された。

 

 

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甲号擲弾銃−射撃姿勢

射撃の衝撃は強大であるために、「射手」は「擲弾銃」に触れないようにして射撃を行う。

 

 

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甲号擲弾銃−照準器

 

 

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甲号擲弾銃−弾薬図

 

 

○甲号擲弾銃データー

 

 重 量   7キロ

 全 長   115センチ

 口 径   12ミリ

 最大射程  320メートル−40度

 威力半径  5メートル

 

 弾 薬

 重 量   約1キロ

 炸 薬   黄色藥

 炸薬量   130グラム

 信 管   著発信管

 

 

○擲弾銃−新弾薬の開発

 青島戦や欧州大戦での戦訓を基として複雑化した戦線での効率的な戦闘を行うために、従来は「榴弾」のみであった国軍の擲弾銃の弾薬にも「照明弾」・「信号弾」・「発煙弾」・「爆煙弾」が登場する。

 

照明弾

 歩兵1個中隊の守備正面である150メートルの間隔を照明する目的で作成された弾薬。真鍮製の本体に、「落下傘付照明剤」が設置されており、擲弾銃で発射した弾丸が最高高度に達したときに弾体底部の曳火信管が作動して、弾体より「落下傘付照明剤」が打ち出され、以後点火された「照明剤」は「落下傘」に吊られつつ発光しながら降下する。

 照明半径は70メートルで、連続照明を行う場合は30秒間隔で「照明弾」を発射する。

 

  照明弾データー

   弾 体   真鍮製

   充填剤   照明剤・傘

   重 量   約1000グラム

   信 管   曳火信管

   照明時間 約50秒

   照明半径 約70メートル

   最大射程 甲號擲弾銃 230メートル

          乙號擲弾銃 300メートル

 

 

信号弾

 「照明弾」の構造を応用したブリキ製の弾体をもつ信号連絡用の弾薬で、発射後に「曳火信管」の時限秒事後に信号用の「光材」が本体より打ち出されて、発光しつつ落下傘で降下する。

 

  信号弾データー

   弾 体   ブリキ製

   充填剤   光剤・傘、又は発煙剤・傘

   重 量   約1000グラム

   信 管   曳火信管

   最大射程 甲號擲弾銃 230メートル

          乙號擲弾銃 300メートル

 

発煙弾

 「照明弾」の弾体を利用した「煙幕拡張用」の弾薬で、弾体から「落下傘」と「吊紐」を取り除き「発煙剤」を充填し、発射と同時に弾体底部の曳火信管が作動して発煙しつつ目標に飛翔する。

 

  発煙弾データー

   弾 体   真鍮製

   充填剤   発煙剤・傘

   重 量   約1000グラム

   信 管   曳火信管

   最大射程 甲號擲弾銃 230メートル

          乙號擲弾銃 300メートル

 

爆煙弾

 「照明弾」の弾体を利用した目標指示用の発煙弾で、前線部隊が砲兵への射撃支援要請の時の目標指示に用いる弾薬。

 構造は上記の「発煙弾」の弾体より「落下傘」と「吊紐」を取り除き、「発煙剤」中に雷管を装備して目標到着後に発煙剤が爆発・飛散して発煙する構造である。

 

  爆煙弾データー

   弾 体   真鍮製

   充填剤   発煙剤

   重 量   約1000グラム

   信 管   曳火信管

   最大射程 甲號擲弾銃 230メートル

          乙號擲弾銃 300メートル

 

 

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擲弾銃弾薬−照明弾・信号弾・発煙弾

 

 


★乙号擲弾銃

 大正5〜6年頃より「甲号擲弾銃」に変わる新型擲弾銃の開発が「陸軍技術審査部」で開始され、大正7年に「乙号擲弾銃」として制式された。

 この「乙号擲弾銃」は機関部に「三八式歩兵銃」を流用しているほか、「甲号擲弾銃」では銃身部分にあった「照準器」を「照尺」と銃床基部にある「象限儀」に取り替えたことで、射撃精度が向上している。

 射撃方法は「甲号擲弾銃」と同様で「空砲」を用いて射撃を行い、射程距離の調整は銃の角度(40・60・70度が基本)と、弾薬の柄捍の銃身への挿入長で調整する。

 弾薬は「著発信管」を備えていた「甲号」と異なり、弾頭部に時限秒時の設定が可能な「曳火信管」が設置されており、装填に際しては「弾薬手」が信管を設定する。射撃は「射手」と「弾薬手」の2名一組で行われ、陣地戦闘の場合は4銃で1目標の射撃を基本とした。

 実際の戦闘での使用記録例は「甲号擲弾銃」と併せてシベリア出兵時に実戦に参加しており、大正9年5月1日の「チョルノフスキー付近の戦闘」で陣地守備の「歩兵第十二聯隊−第二大隊−第七中隊」が、襲撃のパルチザンに対して配属機関銃と併せて、5丁の擲弾銃を使用して撃退した戦例がある。

 

 

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乙号擲弾銃

 

 

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乙号擲弾銃−弾薬図

弾体には破片効果用の溝が7本刻まれている。

 

 

○乙号擲弾銃データー

 

 重 量   約10.8キロ

 全 長   105センチ

 口 径   11.3ミリ

 最大射程  320メートル−40度

 威力半径  20メートル

 

 弾 薬

 重 量   約2キロ

 炸 薬   黄色藥

 炸薬量   370グラム

 信 管   曳火信管

 


★水難救援銃

 「十年式擲弾筒」の採用によって、旧式化した「甲号擲弾銃」・「乙号擲弾銃」を、海難事故の救助索発射機に改良したもの。弾薬の代わりに救助策を取り付けた「救難弾」を銃口に装填して、「空砲」で発射する。

 陸軍船舶に搭載されたほか、民間にも販売された。

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水難救援銃

甲号擲弾銃をベースとしたもので、救助索を200メートルの距離に発射することが可能。


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