ふりげいと氏追悼

コンクリート船「武智丸」

 

 二〇〇三年四月二十一日に二十六歳の若さで亡くなられた、若き船舶研究家である「ふりげいと」氏は、その優しい御人柄と共に船舶研究の亀鑑であり、船舶艦艇の構造研究を始めとした研鑽は勿論のこと、「戦標船」と「コンクリート船」研究の第一人者でもあった。

 往時を偲んで、当コムテムツを故「ふりげいと」氏へ捧げる。

 嗚呼、君の御霊よ、永く我ら護り給わむ。


 「大東亜戦争」勃発と共に、外地の産油地帯からの原油を内地へ運搬するための油槽船の不足から、昭和十七年に「海軍艦政本部」はコンクリート製の被曳航油槽船の研究に着手している。完成したコンクリート製被曳航油槽船は「曳航」という機動方式の為に、実用には向かない結果となっている。

 戦争後期からの相次ぐ船舶の喪失と鋼材を核とした造船資材の不足から、海軍は「戦時標準船改2E型」の船体形状と、先述の「コンクリート製被曳航油槽船」の建造技術をベースとして「コンクリート製輸送船」の建造準備が開始される。

 昭和十九年より、海軍の近海での物資輸送に従事すべく「特設運送艦」として四隻のコンクリート船の建造が兵庫県の「武智造船所」で開始さる。建造が開始されたコンクリート船は造船所の名前を船名に冠して「武智丸」と命名され、昭和十九年から二十年にかけて「第一武智丸」から「第三武智丸」の三隻が竣工している。機関は八〇〇馬力の単軸ヂーゼルエンジンを搭載している。

 竣工した「第一武智丸」は機関故障の為に呉に放置状態となり、「第三武智丸」は小豆島沖で触雷沈没している。

 「第二武智丸」は、「大東亜戦争」終結後に「大阪商船」に払下げられ、1948年に廃棄となっており、 「第四武智丸」は「大東亜戦争」終結後に竣工したものの、神戸で座礁している。

 

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第一武智丸

 

★第一武智丸

全長(Lpp)      60メートル

全幅(B)       12.2メートル

喫水(D)       5メートル

排水量(DISPT.)    1200トン

トン数(G.T.)     840トン

搭貨重量(D.E.)      1100トン

速力(SPEED)     8.5ノット

馬力 ( S.H.P.)       800馬力