南京政府軍
「支那事変」下の昭和15年3月30日に、親日派の「汪精鋭」を中心として設立された親日政権であり、通称「南京政府」と呼称された。
政治組織は5院14部制度を採用し、臨時主席に「汪精鋭」が就任しており、日本との「和平実現」と「憲政実施」の方針として、「共同防共」・「経済提携」・「善隣友好」の3原則を揚げており、日本とは昭和20年まで外交官関係を維持していた。
「南京政府」には、国内の治安維持を主眼として日本人軍官指導の下に陸軍・海軍の編成・訓練がなされていた。
★南京海軍警備艇−江平
警備艇「江平」
南京政府の発注で江南造船所浦東工場で建造された河川警備艇。昭和15年4月9日に進水している。
進水式−01
江南造船所浦東工場の船台上で進水直前の警備艇「江平」。艇首に銃座が見られる。
進水式−02
進水式に望み、南京政府「汪精鋭海軍部長」の命名書を代読する海軍司長。背後には南京政府要人や造船関係者に混じり、第一種軍装に身を包んだ日本海軍の将校の姿も見られる。
進水式−03
船台を滑り降りて、進水した状態の警備艇「江平」。
2663.2.10写真追加
★海軍観艦式
下の2葉の写真は昭和17年3月30日に国民政府遷都二周年の記念行事で揚子江上で敢行された新生国府軍初の海軍観艦式の写真である。
観艦中の汪主席
僚艦より登舷礼を受けつつ、軍艦「江寧」上より観艦を行なう汪主席を初めとした南京政府首脳部。汪主席の前には支那派遣軍総参謀長後宮中将が見える。
新生国府海軍の海軍元帥服に身を包んだ汪主席
2663.3.9写真追加・・・NEW
★中央陸軍軍官学校
南京政府軍には、陸軍部隊の指揮の根幹となる将校団の育成の為に、日本軍の「陸軍士官学校」に相当する「中央陸軍軍官学校」があり、日本人軍官の指導下に将校生徒の教育がなされていた。
以下に訓練中の写真を四枚挙げてみる。
訓練中の九四式軽装甲車
国軍供与の「九四式軽装甲車」で演習場に向かう将校生徒。
訓練中の九四式軽装甲車
砲塔の天蓋を開けて、指揮旗を振っている将校生徒。車体前面には「中央陸軍軍官学校」の所属を示す「中央軍校」とのペイントがある。
機関銃訓練
三年式重機関銃の射撃訓練中の様子で、実弾装填の保弾板が設置されている。
山砲訓練
軍馬に見立てた木製の台上に砲身用の鞍を設置して、そこから砲身を下ろす訓練中の候補生。