拳銃・機関短銃
★試製機関短銃・・・NEW
昭和五年に完成した「試製自動短銃」に続いて、昭和十年に試作された機関短銃で「試製機関短銃」の名称が付けられている。
試製自動短銃
*詳細の情報をお持ちの方は、御教示の程御願い致します。
★二十六年式拳銃
「一番型拳銃」・「二番型拳銃」に代わり、明治26年に制定された純国産の下士官・兵用の回転拳銃。6発の九ミリ実包を収納できる中折れ式の拳銃で、ダブルアクションオンリーの近接戦闘火器である。昭和二十年まで、国軍で広く使用された。
大正時代には、東京砲兵工廠より市井へ販売がなされており、銃が22円・弾薬が100発で3円であった。
二十六年式拳銃
ダブルアクションオンリーの射撃システムを採用している。
二十六年式拳銃
野戦整備の為の分解状況であり、側板が開かれている。側板開放のスタイルなどは「仏国1892年式回転拳銃(レベルリボルバー)」をベースとしたことが覗われる。
★二十六年式拳銃データー
重 量 約900グラム
口 径 9ミリ
装弾数 6発
最大射程 約1000メートル
実包重量 約11グラム
★桑原製軽便拳銃
東京の「桑原銃砲店」が「日清戦争」の折に将校用拳銃として、15円の価格で「近衛師団」に多数が販売された32口径6連発の回転拳銃。出動部隊からの評価も良好であった。
陸軍制式の「二十六年式回転拳銃」をベースに、シングル・ダブルアクションの両用の射撃機構を装備し、黒水牛のクリップに銃本体には「ニッケルメッキ」、機関部にはさび止めのメッキをなしてある。
威力としては、距離50メートルの位置にある厚さ15ミリの杉材を貫通している。
桑原製軽便拳銃
桑原製軽便拳銃−分解図
二十六式回転拳銃と同様に野戦整備に便利なように、機関部の「側板」が工具無しで開閉するようになっている。
桑原製軽便拳銃−拳銃付属品
桑原式軽便拳銃には、発射後の空薬筴のリチャージ用として、「雷管詰替及口絞器(価格1円)」・「鋳型(価格50銭)」と、整備用の「刷毛洗矢(価格5銭)」が拳銃付属品として存在した。
桑原製軽便拳銃−弾薬
明治28年の時点で、弾薬は100発2円にて販売されていた。
*当史料は、「浅川」様より御提供を受けたものです。有り難うございました。
★桑原製軽便拳銃データー
全 長 150ミリ
銃身長 77ミリ
重 量 375グラム
口 径 8ミリ
装弾数 6発
実包重量 7.938グラム
★南部式大型自動拳銃甲/乙
「二十六年式拳銃」に代替する新型拳銃として、「南部麒二郎」が開発した大型自動拳銃で、開発時期は日露戦争勃発の2年前の明治35年(1902年)と伝えられている。
木製の「銃床(ストック)」兼用の「拳銃嚢(ホルスター)」に納められたものを「南部式大型自動拳銃−甲」、通常の革製の「拳銃嚢」に納められたものを「南部式大型自動拳銃−乙」と呼称した。
この「南部式大型自動拳銃」は、製造工程の複雑さと価格が高価なために、陸軍の制式兵器とならずに少数が将校私物や民間用に販売されたほか、帝国海軍が大正13年(1914年)に「南部式大型自動拳銃−乙」に小改良を施したものを「陸式拳銃」の名称で制式採用している。
*大正3年7月までは国軍では「自動」でわなく「自働」の表現を制式に用いていたために、上記図面には「自働拳銃」と表示がなされています。
南部式大型自動拳銃−甲 銃床設置状況
○南部式大型自動拳銃データー
口 径 8ミリ
重 量 945グラム
初 速 320メートル米/秒
射 程 500グラム
装弾数 8発
実包重量 9グラム
★南部式小型自動拳銃
前述の「南部式大型自動拳銃」と同じく、東京砲兵工廠−小銃製造所長の「南部麒二郎少佐」が明治35年(1902年)に開発した小型自動拳銃で、将校の私物のほかに一般にも市販された。
○南部式小型自動拳銃データー
口 径 7ミリ
重 量 548グラム
初 速 330メートル米/秒
射 程 300グラム
装弾数 7発
実包重量 7グラム
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2662.7.29追加 55000Hit記念
南部式小型拳銃図面
「南部式小型」拳銃の細部がわかる図面であり、小型ながらも「安全機」等がうまく設置されている状況がわかる。大正3年の時点で東京砲兵工廠より銃砲店を通じて販売されており、価格は「銃」は32円、「弾薬」は100発4円50銭であった。
★一九〇〇年式ブロウニング自動拳銃
1900年にベルギー陸軍が制式拳銃として採用した、「ジョン・ブロウニング」の開発した自動拳銃で、近代的自動拳銃の幕開けを飾った拳銃。
日本には将校・個人用として、銃砲店経由で輸入がなされ、大正3年の「青島戦」では使用された記録がある。
一九〇〇年式ブローニング自動拳銃
○一九〇〇年式ブローニング自動拳銃データー
全 長 164ミリ
銃身長 120ミリ
重 量 630グラム
口 径 7.65ミリ 32ACP使用
装弾数 6発
★一九〇六年式ブロウニング小型自動拳銃(ブローニング・ベイビー)
「ジョン・ブロウニング」の設計で1906年にベルギーFN社より発売された、護身用小型自動拳銃。
日本では大正時代始めに「懐中拳銃」・「袖珍拳銃」・「ベスト・ポケット」等の名称で、他社のコピー製品多種と共に輸入され、一般のほかに将校の護身用として多数が使用された。
一九〇六年式ブローニング小型自動拳銃
○一九〇六年式ブローニング小型自動拳銃データー
全 長 104ミリ
銃身長 54ミリ
重 量 275グラム
口 径 6.35ミリ
装弾数 6発
★一九〇九年式ベヤード小型自動拳銃
ベルギーの銃器メーカー「エスタブリッシュメンツ・ハイパー社」が、「一九〇六年式ブローニング小型自動拳銃」をより小型化して発売した護身用拳銃。口径7.65ミリ・装弾数5発のモデルも存在する。
「一九〇九年式ベヤード小型自動拳銃」は、後に各所のデザインを更新しつつ、「一九一一年式ベヤード小型自動拳銃」・「一九三〇年式ベヤード小型自動拳銃」へと発展していく。
○一九〇九年式ベヤード小型自動拳銃データー
全 長 126ミリ
銃身長 57ミリ
重 量 338グラム
口 径 6.35ミリ
装弾数 5発
★ピッカート五連射小型回転拳銃
大正時代初期に輸入されたドイツの「フレドリック・ピッカード社」製の口径7.65ミリ、装弾数5発の折畳式引金を装備した小型回転拳銃。
大正3年の青島戦では日独の戦闘で彼我ともに使用した。
★モ式大型拳銃 通称「モーゼル十連発」
ドイツ製「一八九六年式モーゼル大型拳銃」は明治後期〜大正初期にかけて軍用・狩猟用拳銃として銃砲店を通じて輸入されたほか、「滿洲事変」・「支那事変」では大量に捕獲されて現地部隊で多用された大型拳銃である。
大陸で多用された「モ式大型拳銃」は、1913年制定の「M712」等もあったが、多くは口径7.62ミリの「一九八六年式モーゼル大型拳銃(M96)」であり、在大陸の部隊での捕獲使用は勿論のこと、近接戦闘に便利なために「関東軍」では近接戦闘用の増加兵器として、大陸で捕獲された「モ式大型拳銃」のうちから制度の良いものを分隊の下士官レベルに配備していた。
また満州国軍では「一号拳銃」の名称で満軍の制式拳銃となったほか、滿洲・朝鮮警察等でも多用された。
昭和15年2月には国軍の「準制式兵器」として採用され、拳銃弾も製造されている。
モ式大型拳銃
「銃床」ともなる「銃嚢」兼用の「銃匡」を銃に装着した状況。
銃砲店のカタログにあるモ式大型拳銃−その1
銃砲店のカタログにあるモ式大型拳銃−その2
チンタオ出兵で捕獲されたドイツ軍各種拳銃
上段左から 古式拳銃(名称不明) 古式拳銃(名称不明) 一九〇七年式ステア自動拳銃 一八九六年式モーゼル大型自動拳銃 一九〇八年式自動拳銃
下段左から 1900年式ブラウニング自動拳銃 信号拳銃(名称不明) 古式拳銃(名称不明) ピッカート五連射小型回転拳銃
「古式拳銃(名称不明)」は動員された市民義勇軍の装備品で、「一九〇七年式ステア自動拳銃」はチンタオ守備隊に合流した大陸駐留のオーストリア駐屯隊が所持していたものである。
○モ式大型拳銃データー
口径 7.62ミリ 他に9ミリ等あり
全長 2905ミリ
重量 1100グラム
銃身長 140ミリ
装弾数 10〜20発
★ベ式機関短銃
昭和初期に国軍が近接戦闘用としてスイスSIG社製の「一九二八年式機関短銃」を輸入して陸海軍・警察で使用したほか、「滿洲事変」・「支那事変」で捕獲された機関短銃が部隊で多用された。また後には再軍備後のドイツより「一九三四年式機関短銃」も輸入している。
国軍ではこれらの機関短銃を原形の「独國一九一八年式機関短銃」の通称である「ベルグマン銃」より「ベ式機関短銃」と呼称して使用した。
ベ式機関短銃
「独國一九二八年式機関短銃」
ベ式機関短銃
「独國一九二八年式機関短銃」内部図
ベ式機関短銃
「独國一九一八年式機関短銃」に32発入りの鼓胴弾倉を装着した状況。
ベ式機関短銃
海軍特別陸戦隊の「ベ式」伏射状況
○ベ式機関短銃データー
口径 7.62ミリ又は9ミリ
全長 813ミリ
重量 4000グラム
銃身長 140ミリ
装弾数 20発−箱型弾倉 32発−鼓胴弾倉 50発−箱型弾倉
★九四式拳銃40000Hit特別記念
主に将校用の拳銃として開発がなされた装弾数6発の自動拳銃である。
使用弾薬は口径8ミリの「十四年式拳銃実包」であり、弾薬は銃自信に装填している6発と「嚢(ホルスター)」に入る予備弾倉装填の6発の計12発を携帯する。
なお戦後の書籍で、当拳銃を捕獲した米軍が「逆鈎」部分の押しつけによる暴発により「自殺拳銃」の名称が付けられたとの記述があるものの、国軍の拳銃使用は厳格な射撃規定があるほかに射撃直前まで薬室に弾薬を装填することは皆無であることや、仮に「逆鈎」が原因で暴発事故が発生した場合は「陸軍兵器学校」が対策を講じているはずであるが、目下その対策記録を見たことはなく、この「自殺拳銃」の情報ソース(捕獲した米軍部隊の名称や場所を含めて)の由来に疑問を感じるものである。
事実、「陸軍名古屋造兵廠」が昭和15年4月に発行している「九四式拳銃保存取扱説明書」の「機能ノ概要」の項目には、「・・・安全裝置ハ安全栓及安全子ニヨリ逆鈎ト引鐵トノ兩者ニオノオノ作用ス、即チ安全栓ハ銃床後部ノ軸孔ニ裝置セラレ之ヲ摘ミテ「安」ニ一致セシムル時ハ逆鈎ノ囘轉ヲ防止シ發火不能トナル、安全子ハ用心鐵ノ後方ニ裝置セラレ彈倉ヲ離脱シタルトキハ安全子ばねニヨリ用心鐵内ニ突出シ引鐵ニ鈎シ發射ヲ不能ナラシム、故ニ彈倉ヲ離脱セル場合ハ藥室内ニ實包殘存スルモ不時ノ撃發ヲ防止シ得ルモノトス。」との記述がある。
また「取扱上ノ注意」のセクションには「(一)、操作上ノ注意−ハ、射撃中止ノ場合ハ常ニ實包一發藥室ニ殘存スルヲ以テ安全栓ヲ「安」字ニ一致セシムルト共ニ彈倉ヲ抽脱シテ安全子ヲ引鐵ニ鈎セシムベシ。」と「(三)射撃後ノ注意−ハ、引鐵ニ鈎シアルママナラスヤ念ノ爲ニ一度必ズ藥室及彈倉内ヲ檢メタル後引鐵ヲ引キ置クベシ。」との記述がある。
九四式拳銃
九四式拳銃
★九四式拳銃データー
口 径 8ミリ
重 量 銃(除弾倉) 655グラム
弾倉(実包6発装填) 150グラム
嚢(さく杖共)270グラム
1225グラム
初 速 260メートル
有効射程 500メートル
「拳銃嚢(ホルスター)」の装着状況
「支那事変」下の前線で、敵状偵察中の将校の右後腰にある「九四式拳銃」の「拳銃嚢」の状況であり、将校は「昭五式」の夏軍衣を着用している。「拳銃嚢」には銃以外に「予備弾倉」1本と「さく杖(クリーニングロッド)」が納められていている。「拳銃嚢」は革製であり「負革(ストラップ)」で左肩から右腰へ装着して、さらに「拳銃帯革(ピストルベルト)」で固定するのが正規であるが、写真の将校は「拳銃帯革」を使用せずに「将校胴締(ベルト)」のみで固定して折り、また「拳銃負紐(ランヤード)」も使用していない。
★南部式機関短銃
昭和10年より、国軍装備用として試作された「機関短銃」の1つであり、「二型」と呼称される「一四年式拳銃実包」を発射する機関短銃であるが、各種採用試験の結果「一〇〇式機関短銃」にその座を譲る結果となる。
南部式機関短銃
南部式機関短銃−分解状況
*詳細の情報をお持ちの方は、御教示の程御願い致します。
★一〇〇式機関短銃
国軍が「機関短銃」の開発を開始したのは昭和の初めのことで、当時は「自動短銃」等の名称で「自動小銃」と並行して、軍・民間指定工場等で各種のトライアルモデルが多数試作され、一部は技術本部と各種実施学校で試験がなされ軍の制式装備としての整備計画も立てられていたが、「支那事変」の勃発により「単発小銃」の増産のために「自動短銃」と「自動小銃」の整備・生産は見送りとなったのである。
「一〇〇式機関短銃」は昭和15年に制定された、30発入りの弾倉を銃の左より挿入して、連射のみ(単発は指切りで行う)の反動利用式の機関短銃である。弾倉は1銃に20個ずつが用意されており、10個入りのキャンバス製の「弾倉嚢」2つで弾薬を携帯する。弾倉の重量は空で240グラム、30発装填で540グラムである。
一〇〇式機関短銃 脚使用状況
一〇〇式機関短銃 脚をはずし銃口に消燭器(消炎制退器)を装着した状況
昭和19年より、戦況の逼迫により自動小銃・機関短銃の必要性が高まり、従来の「一〇〇式機関短銃」を省力化した「一〇〇式機関短銃−戦時生産型(制式名称不明)」が設計され、名古屋造兵廠−鳥居松製造所で1944年4月より8000〜9000丁が生産され、南方向けの「決戦部隊」や「挺身斬込隊」と、「本土防衛部隊」に配備された。
○一〇〇式機関短銃データー
口 径 8ミリ
重 量 約3.7キロ 着剣時 約4.27キロ
全 長 約870ミリ 着剣時 約1260ミリ
初 速 約340メートル/分
発射速度 約700発/分
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2662.10.21追加・・・NEW
一〇〇式機関短銃 後期生産型
着剣装置が銃身の下に直接設置されているほか、照門が簡易化されるなど、各所に戦時生産を意識しての簡素化がなされている。部隊によっては、「機関短銃」ではなく「自動小銃」と呼称する部隊もある。
*詳細の情報をお持ちの方は、御教示の程御願い致します。
★二式自動拳銃
大東亜戦争の勃発により、将校用の拳銃の海外からの輸入が途絶えたため、国産の中型将校用拳銃の開発の必要に迫られて「一式自動拳銃」をペースに開発がなされた拳銃。
「日本銃器株式会社」の「浜田文次」が32ACPを弾薬として開発制定された「一式自動拳銃」を基本にして、口径を軍制式の拳銃実包である8ミリに改装するとともに各部の再設計を行い、制定された国軍最後の制式拳銃である。
実用試験には昭和18年3月に「陸軍第一技術研究所」の「銅金義一大佐」・「谷戸賢二兵技少佐」が行い、小改正の後に「二式自動拳銃」の名称で仮制式となり、ごく少数が「日本銃器株式会社」で生産されている。
○二式自動拳銃データー
口径 8ミリ
全長 176.5ミリ
重量 不明
銃身長 9.5センチ
装弾数 8発
★国民簡易拳銃
「本土決戦」時に、軍ではなく「国民義勇戦闘隊」用に作成された、「国民簡易小銃」のピストルタイプ。
撃発は「火縄」ないし「簡易雷管(猟銃や拳銃の雷管を応用)」によるもので、銃身にはライフリングもない。
設計は「陸軍第1技術研究所」が昭和19年後半より突貫で実施したものであるが、実際の製造は町工場等での委託生産である。
○国民簡易拳銃データー
口径 不明
射程 不明