特別攻撃隊−義烈空挺隊
昭和20年5月24日、日米最大の決戦地であるの沖縄に、「特別攻撃隊−義烈空挺隊」を用いた、国軍最後の空挺作戦が敢行された。
突入計画は、「第一期攻撃」として読谷の「北飛行場」・「中飛行場」に対しての航空機による胴体着陸を敢行して、所存の敵飛行機を覆滅するとともに、敵司令部・物資集積所を攻撃する。敵飛行場攻撃後は、「第二期攻撃」として沖縄軍と連絡をとりつつ、果敢なる遊撃戦へと移行する計画であった。
「義烈空挺隊」の編成は隊長以下136名で、「指揮班」10名と5個小隊・1独立分隊より編成されていた。輸送には「諏訪部大尉」指揮の「独立第三飛行隊」32名が、12機の「九七式重爆」で行う。「独立第三飛行隊」の搭乗員は、着陸後は搭乗機ごとに1組となって、空挺隊と共に戦闘に参加するため、空挺隊と同様の装備を付けている。
「義烈空挺隊」は昭和20年5月24日夕方、九州の「健軍飛行場」を出発して、10時11分「只今突入」の無線を発信した後に消息を断っている。記録では北飛行場に4機、中飛行場に2機が突入して、敵に多大な被害を与えたとある。
義烈空挺隊指揮官奥山大尉
奥山隊は指揮班と5個小隊の計136名の編成。「脇差」・「一〇〇式機関短銃」・「九四式拳銃」・「信号拳銃」を装備しているほかに、体中に「手榴弾」・「爆薬」・「爆雷」を装備している。
出撃前の乾杯の壮途!
第六航空軍司令官菅原軍中将の音頭にて、出撃の乾杯。
奥山大尉と諏訪部大尉の握手
諏訪部大尉は第三独立飛行隊の指揮官(長以下36名−航空機九七式重爆−12機)で、着陸後は奥山隊と共に地上戦闘に参加するために、航空兵ではなく陸兵と同様の装備をしている。総員、野戦服にスミで迷彩塗装を施した迷彩服を着用しているほか、戦闘帽に夜間識別用の夜光物質を付けている。
出撃直前
各人が、郷里の方角へ最後の別れを告げる・・・
九七式重爆へ搭乗中の写真
訓練中の写真で鉄帽を着用している。竹竿の先に付けられているのは航空機破壊用の「二キロ柄付爆薬」で、もともとはB29に対する挺身斬込用に開発されたものである。
★特別攻撃隊−義烈空挺隊編成
○義烈部隊−奥山隊
「指揮班」−10名
「攻撃隊」−126名
「指揮班」は長以下10名で、軽機装備の「第一組」・伝令任務の「第二組」・通信確保の「無線班」よりなっている。
装備は各自が「九四式拳銃」・「手榴弾」10〜15発の他に、「九九式短小銃」−1・「一〇〇式機関短銃」−4・「二キロ柄付爆薬」−2・「九九式破甲爆雷」15・「無線機」−2を装備している。
「攻撃隊」は13名編成の「攻撃班」9班と「独立分隊」より編成されており、これを5個小隊1独立分隊に分けている。
「攻撃隊」の「攻撃班」は長以下13名で、爆破任務の「第一組」・軽機装備の「第二組」・爆破任務の「第三組」・擲弾筒装備の「第四組」よりなっている。
「攻撃班」の装備は以下のとおりである。
・第一組 4名
九四式拳銃−3 九九式短小銃−1 一〇〇式機関短銃−2 二キロ柄付爆雷−2 九九式破甲爆雷−4 一キロ爆発缶−2 三式手投爆雷−2 一〇〇式テナカ弾−13 手榴弾各自15発
・第二組 3名
九四式拳銃−2 九九式短小銃−1 九九式軽機関銃−1 二キロ柄付爆雷−1 九九式破甲爆雷−4 一キロ爆発缶−1 三式手投爆雷−1 一〇〇式テナカ弾−1 手榴弾各自10発
・第三組 3名
九四式拳銃−1 九九式短小銃−1 一〇〇式機関短銃−1 二キロ柄付爆雷−1 九九式破甲爆雷−4 一キロ爆発缶−1 三式手投爆雷−1 一〇〇式テナカ弾−1 手榴弾各自15発
・第四組 3名
九四式拳銃−1 九九式短小銃−1 一〇〇式機関短銃−1 八九式重擲弾筒−1 二キロ柄付爆雷−1 九九式破甲爆雷−4 一キロ爆発缶−1 三式手投爆雷−1 一〇〇式テナカ弾−1 手榴弾各自15発
「独立分隊」は、敵司令部襲撃隊である。
○独立第三飛行隊
諏訪部大尉以下32名。
九七式重爆12機+予備機4機
機体番号 1番機−四四八四番 7番機−六一五六番
2番機−四一三二番 8番機−四四七五番
3番機−四一五六番 9番機−六五四七番
4番機−六五四〇番 10番機−六〇〇一番
5番機−四〇八二番 11番機−四一六一番
6番機−四一三八番 12番機−四三〇七番
予備機 四〇六二番 六六八〇番
六五四六番 四一七〇番