ビルマ國軍
「ビルマ国軍」の母体は、昭和16年12月27日に特務機関「南機関」が創設した200名からなる「ビルマ独立義勇軍」であり、翌年2月には5000名にまで人員がふくれ上がっている。陸軍の「ビルマ進攻作戦」を全面的に支援した「川島威伸」大尉指揮の「独立義勇軍川島兵団」のの活躍は有名である。
後にこの「ビルマ独立義勇軍」は、国軍の本格的な軍事指導のもとに「ビルマ国軍」となり、「タイ国軍」と並んで国軍の後方支援にとっても欠かせない存在となる。
大東亜戦争末期、英軍の対ビルマ方面への本格的な反攻の中、昭和20年3月27日に「オンサン国防相」はビルマ独立のために約1万名のビルマ国軍を率いて、対日決起を行っており、「大東亜戦争」集結後は「ビルマ独立軍」となり英軍と戦火を交えている。
閲兵を受けるビルマ国軍
第十五軍司令官「飯田祥二」中将の閲兵を受けている状況。国軍に酷似した「防暑衣」・「防暑袴」・「巻脚絆」の軍装を身につけて、国軍の「指導教官」以外は全員無帽である。
射撃訓練中のビルマ国軍
国軍の指導教官より、「三八式歩兵銃」を用いて「膝射」の姿勢を訓練中の状況。階級章等の徽章類はどのような形態か不明であるが、「戦闘帽」に「ビルマ国軍」識別のために白線がいれられている。
捧銃を行うビルマ国軍兵
国軍供与の「三八式歩兵銃」で「捧げ銃」を行うビルマ国軍兵士。上衣の肩にはエポレットがあり、開襟の襟部分には階級章が見え、左胸には白布の名札らしい片布が見れる。「雑嚢」・「水筒」は装着していないが、腰には「三十年式銃剣」と2個の「前盆」を付けている。「編上靴」と「巻脚絆」の間に「レギンス」の様なものを付けていますね・・・
市中行進を行うビルマ独立義勇軍
日本人教官(左端)の指導・引率のもとにピルマ市内を行進する「ビルマ独立義勇軍」。行進部隊の先頭で左腕に腕章を巻いているビルマ側の引率要員(「班長」か?)がみられる。後に「ビルマ独立義勇軍」は、国軍の本格的な指導と援助のもとに「ビルマ国軍」へと発展する。
訓練中のビルマ国軍
訓練による戦況識別のために、白線の入っている戦闘帽の上から白鉢巻きを締めている。