滿洲帝國軍

 

 

 昭和6年9月18日の「滿洲事変」を機として、「滿洲國」の名称で建国された国家。

 翌昭和7年の3月1日に「前清國宣統帝溥儀」の執政とともに「滿洲國建國宣言」を行い、9月15日の「日滿議定書」の調印によって、日本は「滿洲國」を正式の国家として承認した。

 滿洲国の防衛には、旧地方軍閥軍を国軍の派遣将校の指導のもとに総兵力10万の新生「滿洲軍」に再編成して訓練が行われ、昭和20年まで国軍の同盟軍として重要な地歩にあった。

 


第1回目−2660.6.4UP

 

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滿洲國皇帝陛下

 

 

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喇叭手

喇叭吹奏中の喇叭手。後方には五色の「滿洲國旗」が見える。「雑嚢」が紐留式で、国軍使用の「旧式雑嚢」よりも大型ですね・・・

 

 

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滿軍通信兵

乗馬隊用の「伝書鳩籠」(2羽収納)を背負っている。

 

 

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地形を利用して狙撃中の滿軍歩兵

「三八式歩兵銃」を用いて狙撃訓練中の歩兵。写真は滿洲國軍創設当時の写真のため、「軍帽」を着用しているが、後に国軍と同様の「戦闘帽」を着用する様になる。

 

 

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滿軍機関銃隊

国軍供与の「三年式重機関銃」を利用しての訓練中の模様。

 

 

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渡河訓練

川舟を結束しての「臨時橋梁」にて渡河訓練中の写真。

 

 

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滿軍野砲隊の射撃状況

国軍供与の「三八式野砲」にて、射撃訓練中の模様。

 

 

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滿軍迫撃砲隊の射撃状況

ストークブラン社製の「八一粍迫撃砲」を射撃中の状況

 

 

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歩兵砲隊の訓練状況

名称不明の「歩兵砲」です・・・。口径は七五粍かな?

「地方軍閥軍」の保有兵器をそのまま利用したものと思うのですが・・・

 

 

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乗馬歩兵隊の射撃訓練状況

綿製の防寒服を着用して、「三八式歩兵銃」の射撃訓練中の状況。

 

 

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騎兵隊の襲撃訓練

「抜刀」しての「襲撃体制」をとっていないところから、馬の歩調を襲撃速度の「襲歩」へ以降中の状況と思われる・・・

 

 

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通信隊の駄馬訓練状況

電話線の「絡車」を駄裁輸送中の状況

 


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★滿洲国軍編成

 「滿洲国軍」は「後方警備」・「治安維持」的要素の強い軍隊であり、当初は「関東軍」の補助的存在であったものの、「対ソ戦」惹起の危惧や、「大東亜戦争」の勃発によつてしだいにその重要性が増して「独立国軍」としての整備中に終戦を迎えました。


★陸軍部隊全般
 1932年4月13日の「関東軍」よりの「軍事顧問」派遣と、4月15日制定の「陸海軍条令」・「警備担当区域」により「滿洲国軍」建設の基礎が決まり、建国当初は地方軍閥の組織をそのまま利用し、適宜改変を行いつつ「滿洲国軍」を編成していくようになったのである。

 部隊編成は、支那軍と同様の「師(師団)」・「団(聯隊)」・「旅(旅団)」の方式を採用しており、「1個師」は、「歩兵3〜4個団」と「砲兵1個団」・「騎兵1個団」から編成がなされ、で7000〜9000名前後の兵員数である。

 昭和10年4月に、「滿洲国軍」の配置を行政区分と一致させ、さらに「関東軍」との協同作戦を行うために、大改正が行われた。

 詳細な資料がないので明確なことは不明であるが、「滿洲国軍」は「関東軍」との共同作戦のために「大東亜戦争中」に改変があったようで、終戦時は「第一〜十一軍管区」の11の軍管区に分かれていた。

 以下は、昭和10年8月1日現在の「滿洲国軍」である。

  ・第1軍管区     12321名

  ・第2軍管区     13185名

  ・第3軍管区     13938名

  ・第4軍管区     17827名

  ・第5軍管区      9294名

  ・興安東警備軍     929名

  ・興安西警備軍     858名

  ・興安南警備軍    1052名

  ・興安北警備軍     656名

  ・江防艦隊        719名

   総兵力       79329名

 

★ 滿洲国海軍について

 「滿洲国海軍」は、「関東軍」や「滿洲国陸軍」と協同して河川警備を主とする国境警備海軍であり、艦艇の行動できない河川凍結期では陸戦隊となり、国境警備行動に従事するものである。

 「滿洲國海軍」の設立は、「滿洲事変」勃発後の昭和7年2月15日、地方軍閥との協議により引き渡された軍艦5隻が基幹となって創設された「江防艦隊」が「滿洲国海軍」の起源であり、のちに「日本海軍」から「関東軍」に派遣されて、昭和8年4月1日に発足の「駐滿海軍部」のもとに、発展を遂たのである。

 また設立後の、駆出しの状態の「滿洲海軍」をサポートする為に、昭和8年4月にハルピンに本部をもつ、「日本海軍」の「臨時海軍防備隊」が発足した。

 装備艦艇は 「国境警備」・「匪賊警備」・「通商保護」を主任務とした「小型砲艦」と「警備艇」が主であり、軍閥時代から引き継がれた砲艦が基幹となるもそれ以外に、昭和9年9月に日本製の270トン型砲艦の「順天」・「養民」が新戦力として本州国海軍に加わり、さらに翌昭和10年の9月9日には290トン型砲艦「定辺」・「親仁」が新たに加わり、前述の「順天」・「養民」の2隻と合わせて、「滿洲国海軍」の4大主力艦となっている。

 昭和13年11月の「駐滿海軍部」の廃止にともない、翌14年11月に「関東軍」より軍事顧問を迎えて「滿洲国陸軍」へと編入となり、名称を「江上軍」と改正している。兵力数は昭和15年の時点で2000名である。

 


★滿洲国軍航空部隊について
 1937年(康徳4年・昭和12年)に、国軍内に「国軍飛行隊」が設立されている。

 この「国軍飛行隊」は大東亜戦争後期の、1944年4月以降に、「第二航空軍」の指揮下に入り防空戦闘に従事している。装備機種は、「九七式戦」・「一式戦」・「二式単戦」等であり、最盛期は輸送機を含み約110機の航空兵力を有していた。



●国軍飛行隊編成

  飛行隊司令部

             第一飛行隊

             第二飛行隊

             第三飛行隊

  独立飛行隊

  航空兵器廠

  陸軍飛行学校


 第3回目−2662.5.13UP

 

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海辺警備船「海凰」

神戸川崎造船所で昭和8年6月12日に行われた滿洲国海軍の海辺警備船「海凰」の進水式の状況である。本船は滿洲国側の発注で年3月14日より建造が進められていた最大速力13ノットの優良ヂーゼル船である。 同型艦に「海龍」がある。 大東亜戦争勃発後は爆雷投下装置が設置され、日本海軍と共に対潜水艦戦に従事している。

 

★海鳳データー

 全 長  44メートル

 全 幅  6.1メートル

 喫 水  1.54メートル

 排水量  204トン

 速 力  13ノット

 武 装  五十粍砲−2

     

 

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河川用砲艦「大同」

昭和8年6月27日に満州国の松花江岸の「東北造船所」での河川砲艦「大同」の進水式の状況であり、後方は同時進水の同型艦「利民」である。

 

★大同データー

 全 長  30.5メートル

 全 幅  2メートル

 喫 水  0.8メートル

 排水量  65トン

 速 力  13ノット

 武 装  十五糎曲射砲−1

       重機−3

 


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砲艦「定邊」

1935年8月に竣工した砲艦で、同型艦に「親仁」がある。大東亜戦争後期の1945年になると両艦搭載の「十二糎高射砲」は鞍山製鉄所の防空戦闘のために陸揚げされて、代わりに「八糎平射砲」が搭載された。

 

★定邊データー

 全 長  54.6メートル

 全 幅  8.8メートル

 喫 水  2.2メートル

 排水量  290トン

 速 力  12.5ノット

 武 装  十二糎双聯高射砲−1

       十二糎高射砲−1

       十三粍双聯高射機関砲−3

 

 

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河川用砲艦「大同」型

河川用砲艦「大同」型の航行中の状況であり、武装として艦首に十五糎砲が有るほか、前楼に1門と後楼2門の計3門の防盾付重機関銃を装備している。なお艦首の「十五糎砲」であるが、1937年に「四十七粍双聯平射砲」へ変換されている。

 

 


 第5回目−2662.6.3UP

 

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氷結期の滿軍江防艦隊

冬季に結氷する河川での軍艦の運用は不可能であり、同時期においては満州国海軍は徒渉してくる敵に対応する陸戦に重点が置かれる。

 

 

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滿洲国海軍陸戦隊−銃隊

戦闘訓練中の滿軍陸戦隊の銃隊の状況で、国軍供与の「三八式小銃」と「十一年式軽機関銃」を使用している。河川沿いの鉄橋側面の防衛陣地の守備状況であり、国軍供与の「十一年式軽機銃」が3丁見られる。

 

 

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滿洲国海軍陸戦隊−砲隊

戦闘訓練中の滿軍陸戦隊の砲隊の状況で、国軍供与の「四年式無十五糎榴弾砲」を使用している。

 


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★江防艦隊

 

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 停泊中の「定邊」と「親仁」

艇首には「十二糎双聯高射砲」が見られるほか、艦橋上の見張楼には三門の「十三粍双聯対空機関砲」が見られる。

 


 第6回目−2663.6.2UP

★高射砲隊

 昭和十二年十月に、満軍の防空能力向上の目的で新設された高射砲部隊であり、国軍供与の「八八式高射砲」と観測機材を装備して「第一高射砲隊」・「第二高射砲隊」・「第三高射砲隊」の3隊が奉天・ハルピン・チチハルに展開した。

 昭和15年9月には新たに「第四高射砲隊」と「第五高射砲隊」が新設されて5個高射砲隊の体制が整えられ、大東亜戦争では滿洲の要地防空の為に各地に展開している。

 終戦時には、「高射砲隊司令部」の隷下に五隊の射撃部隊があり、防空戦闘よりも水平射撃による対戦車戦闘を準備しつつ終戦となっている。

 

 

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九〇式大空中聴音機

「空中聴音機」で敵機の方向を確認中の満軍。

 

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八八式高射砲

「防毒面」を使用しての「八八式高射砲」の使用訓練状況。

 


第7回目−2663.12.1.UP

 

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制式名称はなく通称「装甲車」と呼称された、滿洲国軍オリジナルの「簡易装甲自動車」。日本製の自動貨車をベースにしてこれに装甲板と砲塔をつけた十人乗りの「簡易装甲自動車」であり、武装として車体全部に三十七粍砲1門を装備して、砲塔には「三年式重機関銃」一丁を装備したほか、車体側面にある銃眼射撃用に「十一年式軽機関銃」六丁が装備されていた。


第8回目−2666.1.1.UP

 

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滿洲国軍「簡易装甲自動車」であり、上記写真とは別の車体と砲塔を装備している。車輪は四軸であり後輪はダブルタイヤを使用しており、車体全面には展視孔の右横に機関銃があるほか、車体側面にも各二個の機関銃銃眼がある。砲塔は角錐形のであり「三年式重機関銃」を装備しているものと推測される。

 


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