海軍二十五屯砲艇
帝国海軍が、河川警備用に1940年〜1944年にかけて建造した「二十五屯砲艇」。支那事変下での河川警備や討伐・臨検・船舶護衛に活躍した。
建造数は70〜80隻である。製造元が判明しているものは、「横須賀海軍工廠」にて公称第1164号艇〜公称第1173号艇・公称第1179号艇・公称第1180号艇、「三菱長崎造船所」で公称第1357号艇〜公称第1366号艇が建造されている。
通常「砲艇」3〜4隻で「砲艇隊」を編制し、状況に応じて「武装艦載水雷艇」や「武装大発」等の配属を受けることもあった。
二十五屯砲艇
全長17メートルで、150馬力のヂーゼルエムヂン2基を備え、最大速力は11ノット。武装は「九三式十三粍聯装機銃」(「九三式十三粍双装機関砲」の海軍名称)1門。
討伐作戦中の二十五屯砲艇
「海軍特別陸戦隊」ないしは「陸兵」を搭乗させて、討伐上陸中の「砲艇隊」
艇尾より艇首を見た図
艇尾に三年式機銃(「三年式重機関銃」の海軍名称)の防盾付の銃座が増設されているほか、通風孔の周囲にも、防護鋼鈑が増設されている。激しい日差しより頭部を保護するために「九〇式鉄兜」(「九〇式鉄帽」の海軍名称)に「鉄帽被」を装着している。
伝書鳩の放鳩
乗員は「第三種軍装」ではなく、「陸戦服」を着ているような・・・