格納庫
                                               
 2018.04.12(運について考える)

   先日、ネットを検索していると面白い人の番組に出会った。
   その番組で紹介していたがパナソニック旧松下電器の創始者
「松下幸之助」氏はリーダーの要件として以下の三つの事を思っておられたそうである。

   
一、愛嬌があること。
   二、自分は運が強いと思っていること。
   三、後ろ姿。


   ・・・だそうである。
   
「後ろ姿」では高倉 健さんに敵うモノは思い浮かばないのであるが、ここではこの中のについて考える事にしてみた。

   世間では運が強いとか運がナイなんて事をよく耳にするし自分でも思う事がある。では一体、運が強いとか運がナイとはどういう事なのか。

   オレが思うに運が強い或いは運がナイとは、望むと望まないとに関わらずある状況に遭遇した時の自分の総合的な事情を捉えて、運が強いとか運が
  なかったと考えるのではないだろうか。

   例えば一枚の宝くじを買ったとしよう、誰もが
「どうか一等が当たりますように」と望む。そして幸運にも当たったとしよう。自分は物理的にも精神的にも
  嬉しい、これが文字通り運がイイ運が強いという事であろう。

   更にもう一つ例を、オレはある日仕事で車を運転していたとしよう。約束の時間に間に合わせるためにアクセルを踏みすぎて制限速度を遙かにオー
  バーしていた。その結果パトカーに速度違反で捕まってしまった。

   パトカーのサイレンが鳴った瞬間
「アチャー運が悪い・・・」っと天を仰ぐ、更に心配なのが30キロ以上オーバーの即免停ではなかろうかという事だ。
   オレはドキドキしながら警官に聞く
「何キロオーバーですか?」「25キロで〜す」おお〜運の神様ありがとうございます。
   免停ではない!!運が強い・・・。
(先日本当にあった話・・・^^; )
 
   しかし、よくよく考えてみるとオレがパトカーに捕まった事自体は全く運が無かったという事だ。
(法令違反だから仕方のない事ではあるが・・・^^;)
   だが一番心配だった即免許停止には至らなかった・・・。運が強いのである。^^;

   オレの結論はこうだ。
   事象の一部分だけを捉えて運が悪いとか運が無かったと考えるのは間違いである。最終的且つ総合的に物事を判断して、良い方に捉えた方が
  人生幸せであると私は思うのである・・・。^^

   ところでオレは本当に運が強いのであろうか。

   自分で言うのもナンだがオレはメチャクチャに運が強いと思っている。^^;
   オレは今までに、命を失っても全く不思議ではない状況に4度遭遇したが、その度毎に運の神様に助けられ生かされてきた。
   
(本当にありがとうございました)

   更に現役当時私は毎年20年以上に渉り穂高に登っていたのだが、雨に降られたのは只の一度だけ、それも上高地から横尾までの間だけであった。
   ことほど左様にオレは運が強いのである。^^;

   世間では
「運も実力のうち」などと言われる事もあるがオレは違うと思う。運はどこまでも運であり実力ではない。その証拠に雨降りを晴れのお天気に
  変える実力などオレは持ち合わせてはいないのである。

   ワレ思うに、今日までのオレは只々
運のみで生かされてきたのではないかと考える次第である。(ありがたい事である・・・(笑))