航空母艦 瑞鶴

  南太平洋海戦時 主要諸元
  全        長 257.5m
  最   大   幅   29.0m
  満載排水量 32,105トン
  軸   馬   力 160,000馬力
  最 大 速 力 34ノット(時速63km)
  兵     装 89式12.7cm連装高角砲18門
           96式25mm3連装機関砲54門
  搭   載   機   84機(常用72機 補用12機)
   乗   員   数   1,660名(竣工時)


  
日本海軍には武勲艦と呼ばれた艦船が二隻いた。敗戦後も復員艦として最後まで働いた駆逐艦「雪風」とこの空母「瑞鶴」である。
  「瑞鶴」は空母「翔鶴」型の二番艦として昭和16年9月25日に完成し、先に就役した「翔鶴」と共に直ちに連合艦隊に編入されて第5航空戦隊を
 編成した。

    昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦劈頭のハワイ真珠湾攻撃に参加し、攻撃参加空母6隻中で唯一1機の損失も出さなかった。
  更に年が明けた昭和17年4月9日にはインド洋作戦に於いて英空母「ハーミズ」を撃沈する。
  そして5月8日には歴史的な史上初の空母機動部隊同士の戦い「珊瑚海海戦」を僚艦「翔鶴」と共に戦う。

  「珊瑚海海戦」を戦った米海軍は第17任務部隊の正規空母「ヨークタウン」と「レキシントン」、日米の航空打撃戦力はおよそ互角であった。
  戦いは熾烈を極め、お互いに多くの未帰還機を出しながらも日本海軍機動部隊は米正規空母「レキシントン」を撃沈、「ヨークタウン」を中破せしめたが
 日本軍も小型空母「祥鳳」沈没、正規空母「翔鶴」中破の損害を受ける。
  米海軍の攻撃時、「瑞鶴」は幸運にもスコールに包まれていたためこの戦いを無傷で切り抜ける。

   昭和17年10月26日、「南太平洋海戦」を再び「翔鶴」と共に戦う。この戦いでは見事な雷爆同時攻撃を敢行して米正規空母「ホーネット」を撃沈、
 「エンタープライズ」を中破せしめたが、「翔鶴」に爆弾4発が命中し大きな損傷を受けた。しかし、またも「瑞鶴」は無傷であった。

  昭和19年6月19日、「マリアナ沖海戦」。質量共に優れた米第58機動部隊との戦いで日本機動部隊は航空打撃戦力の殆どを失い、更に終始行動を
 共にして来た「翔鶴」は米潜水艦の雷撃を受けて沈没。この戦いで「瑞鶴」は始めて爆弾1発を艦橋後部に被弾し損害を受ける。

  昭和19年10月20日、「捷一号作戦」発令に伴い「瑞鶴」は残り少ない艦載機を搭載して最後の戦いへ豊後水道を出撃した。
  この作戦は主力艦隊である栗田艦隊のレイテ湾突入を成功させるために、ハルゼー率いる強力な米機動部隊を北方へ吊り上げる囮としての悲しい任
 務であった。

    10月24日、栗田艦隊を攻撃中の米機動部隊は北方の「瑞鶴」小澤機動部隊の存在を知り、急遽栗田艦隊への攻撃を中止して北方へ急進した。
  そして見事囮艦隊に食らいつき、「瑞鶴」最後の悲しく困難な任務は達成されたのである。

  10月25日早朝、「瑞鶴」は最後の邀撃戦闘機を発艦させたのち、強力な米機動部隊合計三波の猛攻を受け爆弾数発と魚雷6本を被弾する。
  午後2時14分、「瑞鶴」沈没。北緯19度57分、東経126度34分、フィリピンルソン島北東岸エンガノ岬東北東260海里、多くの将兵と共に「瑞鶴」
 は眠っている。