F-1 Reserve
F-1にステップアップする可能性を秘めたドライバー達
(基本的に2世ドライバーなのはご愛嬌 ^^; )
| ダニカ・パトリック |
中島貴一 |
マティアス・ラウダ |
ニコ・ロズベルク |
ネルソン・ピケJr |
| スコット・スピード |
1部噂の領域を出ないものもあります。
スコット・スピード アメリカ (05/10/2)
スコット・スピードはレッドブル・レーシングで好評価を受け、05年、アメリカとカナダで同チームから第3ドライバーとして出走した。同年、スコットはGP2に参戦している。
アメリカ人の公式F1出走は93年のマイケル・アンドレッティ以来となる。
ダニカ・パトリック Danica Patrick アメリカ URL (05/10/2)
インディ500で女性初の決勝4位となる。同レースでダニカは一時トップを走行するという快挙も成し遂げた。そうして注目を集めたダニカには、いくつかのF1チームから交渉があった。06年からF1参戦するのではないかと言われている。F1は女性では通用しないと言われてきたが、ダニカの才能にホンダが興味を示しているようだ。
なお、F1で女性ドライバーが最後に出走したのは、92年のジョバンナ・アマティ以来出ていない。アマティは、全戦予選落ちを喫している。また、F1で唯一ポイントを獲得した女性ドライバーはレラ・ロンバルディ(Lella
Lombardi)のみである。ロンバルディは75年の南アフリカGPでマーチを駆って、豪雨で短縮されたレースの中で0.5ポイントを獲得した。
中島貴一 日本 (04/3/28現在)
中島悟の息子。フォーミュラ・トヨタで2003年シリーズチャンピオンに輝いた。更に翌2004年、トムスから全日本F3に参戦する。そのデビュー戦鈴鹿であらゆるセッション(フリー走行、予選、決勝)でトップとなり、デビューウィンを飾る。
中島悟は、1987年より初のレギュラードライバーとしてF1に参戦し、1991年の引退までホンダのドライバーとして活躍。その後はフォーミュラニッポンのチーム監督として、第一線で活躍した。
マティアス・ラウダ オーストリア (04/3/28現在)
3度のワールドチャンピオン、ニキ・ラウダの息子。オーストリア、ザルツブルグ生まれのM・ラウダは、2002年に21歳でデビューしフォーミュラ・ニッサン2000に参戦した。また、ドイツのフォーミュラ・フォルクスワーゲン、イギリスのフォーミュラ・ルノー・ウインターシリーズにも参戦した。2003年はスペインのワールドシリーズ・ライト選手権で総合8位。
2004年にはGP2にステップアップし、名門コローニに所属する。
ニコ・ロズベルク フィンランド (04/3/28現在)
ケケ・ロズベルクの息子。
ケケ・ロズベルク(ケイヨ・エリック・ロズベルク)は、ウィリアムズなどのチームで活躍し、1982年にタイトルを獲得。フライング・フィンの形容は、ロズベルクから始まった。その後、ケケ・ロズベルクは、フィンランド人のマネージャーとして活躍。ミカ・ハッキネン、J・J・レート、ミカ・サロ、キミ・ライコネンなどがその恩恵に預かった。
ネルソン・ピケJr ブラジル (04/3/28現在)
ネルソン・ピケの息子
ネルソン・ピケは、ブラバム、ウィリアムズ、ロータス、ベネトンなどで活躍。3度のタイトルを獲得している。