ハワ−ド・レイモンド・デイビス本人
1920年代初期のバイク雑誌でのタイヤ広告より。
車両はAJS
HRDカタログより。モデルは90TTR。
JAPエンジンを搭載。
20年代の広告より。
1920年代の広告より。JAPはエンジンメ−カ−で、
HRDに動力を提供していました。
#1 発掘編
D-BLACK PRONCE。
様々なアイディアがこのモデルにも投入されたですが、
大部分のVINCENTファンは、このルックスからくる
VINCENTらしさの欠如に眉をひそめました。

「H・R・D」から「VINCENT」へとロゴが変更されたのに次いで、1952年に今度は社名が「VINCENT
H・R・D」から「VINCENT ENGINEER」へと変更されました。これは勿論、ロゴと同様に社名から「H・R・D」の文字を消すことが目的であったため、
車体には何の変化もなく、依然としてシリーズCが販売されていました。
しかしVINCENT社を取り巻く環境には少しずつ変化が始まっていました。1950年代に入ってからというもの、
他のメーカーは新しい排気量として650ccのモデルを生産し始め、ビンセントVツインのセールスマーケットへと
次々と送り込んで来たのです。シリーズBの時代から、高性能・高品質で他社をリードしてきたVINCENT社も、
この頃にはすでに「オールドファッション」と言われる様になり、1952年を境に販売台数も下降線を描き始めます。
そんな中、P・C・ビンセントは、VINCENT車の新しい方向性を示すべく、1954年にシリーズCをフルモデルチェンジさせた
シリーズDを発表しました。シリーズDの一番の特徴は、車体全体を覆う黒く大きなカウリングが取り付けられた、その外観にありました。このカウリング付きモデルは、VICTOR(500cc単気筒)、BLACK
KNIGHT(1000ccVツイン:RAPIDEの後継車)、BLACK PRINCE(1000ccVツイン:BLACK
SHADOWの後継車)と名付けられました。
車体構成においても、それまでフレームの一部を兼ねていたエンジン上部のオイルタンクに代わり、
パイプ製の「フレームトップチューブ」が採用され、これに取り付けられるリアサスペンションも、スプリング/ダンパー別体のものから、一体型になった「モノショックリアサスペンション」へと変更になりました。
エンジン、バッテリー、オイルタンク、リアホイールをも覆うカウリングは、ライダーを雨・風・騒音から守り、
快適性を与えるものでした。しかし、またしても下請け会社からの部品供給が間に合わず、多くの注文はキャンセルとなり、
しばらくの間はカウリングの無いシリーズD-RAPIDE/BLACK SHADOWが生産され、販売されました。
カウリング付きモデルも、1955年に290台程が生産されるにとどまり、同年12月、VINCENT社はモーターサイクルの販売を中止、その歴史に幕を下ろしました。
#5.シリ−ズDとVINCENT斜陽期、そして・・・・




戦後に向けてVINCENT-HRD社が打った広告。
車体は戦前のAシリ−ズを用いて、エンジンは戦時中に改良された物を
搭載していましたが、結局画像と同じ車体が発売されることはありませんでした。
VINCENTマニアが最も美しい組み合わせと称するのもうなずけます。
ア−ヴィング設計エンジンのAコメット。P・ビンセントはクロ−ムメッキを嫌った為に
ガソリンタンクはステンレス製でした。
Aラパイド。目を見張るエンジンの造形です。

他社に買い取られ、H・R・Dという名前さえも表に出なくなった頃、モーターサイクルに並々ならぬ熱意を持った青年が、
周囲の協力を得て、一つの会社を起こそうとしていました。彼の名前はフィリップ・C・ビンセント。
やがて彼は再び売りに出されていたH・R・D社を手に入れ、VINCENT-H・R・D社を設立させます。
当時の世の中は、英国に限らず、第一次世界大戦後による経済不況や政治不安を抱えるなど、現在とは随分違う環境でした。モーターサイクルの生産においても、エンジンまで自社で製作していたのは数少ない大手メーカーだけで、その他多く存在していた小さなメーカーでは、エンジンメーカー(JAPやRudge、Blackburne等)からエンジンを買い、自社のフレームに載せるという形が主流でした。スタートしたばかりのVINCENT-H・R・D社でも例に漏れず、設立後しばらくの間は、主にJAP製のエンジンを搭載していましたが、1930年代半ばにP・E・アーヴィングなる人物がベロセット(ヴェロス)社から移籍してきたことから、彼の設計による初の自社製エンジンが開発され、METEOR(500ccツ−リングモデル)、COMET(500ccスポ−ツモデル)というモデル名で、1935年に自社製エンジン搭載された車体が発売されました。その後、OHCエンジンとOHVエンジンの中間のような独自のエンジン構造を持つ初の自社製エンジンにチューニングを施したTTRやCOMET
SPECIAL等も販売されました。
又、P・E・アーヴィングにより、もう一つの偉大なる”偶然の産物”がもたらされます。それは、彼がたまたま裏返した製図紙と、その下の二枚目に同じく描かれていたそれぞれのMETEORのエンジンが、完全なる1000ccVツインのクランクケースを映し出した時に生まれました。
このことによりVINCENT-H・R・D社の今後が決定したと言っても過言ではないモデル、シリーズA-RAPIDEの誕生です。
P・E・アーヴィングの緻密な設計により構成されたこのエンジンは、その独自で複雑なオイルラインから
”The Plumber's Nightmere(配管工の悪夢)”と呼ばれ、また独特な力強い排気音を人々は、
”Snarling Beast(うなる野獣)”と愛称しました。
これら、鬼才P・E・アーヴィングの設計したエンジンを搭載した第二次世界大戦前のモデルをシリーズAと呼びます。
VINCENT-H・R・D社初のエンジンは、発売当初なかなか受け入れられませんでしたが、各レースに参加し、
その優れた加速性や制動性が証明されたことから人気を博しました。
(しかし、当時のVINCENT-H・R・D社の生産体制では、例えばシリーズA-RAPIDEの生産台数はわずか78台でした。)
その後英国は再び第二次世界大戦という戦争の波に飲み込まれます。
VINCENT-H・R・D社も軍事用部品の生産を行なうこととなり、モーターサイクルの生産再開は、
1945年の終戦を待たなければなりません。
#2.P・E・ア−ヴィングとシリ−ズA
かつてよりお客様よりご依頼を頂いておりましたVINCENT BLACKSHADOW を英国よりレストアベ−スより
輸入し、可能な限り純正部品を使用して再生を行なって参りました。気の遠くなるような時間を経て完成した
C-SHADOWの過程をシリ−ズでお伝え致します。
まず初めに、VINCENTというメ−カ−はいかにしてこのようなバイクを作り上げたかを学ぶ必要があります。
レストアレポ−トの前にVINCENTの歴史をご紹介致します。
※このペ−ジの最下部のマ−キュリ−をクリックすると、レストアレポ−トをご覧頂けます。
Produced by ALDGATE WORKS
VINCENT C SHADOW PROJECT REPORT Intro VINCENTとは?
現代において「VINCENT」と言う場合、それは「VINCENT-H・R・D社」自体、もしくはそこで生産された車体を指す事が殆どではないかと思います。この「VINCENT-H・R・D社」は、元々はハワード・レイモンド・デイビスなる人物が設立した「H・R・D社」を前身とします。”ハワード・レイモンド・デイビス”、つまり”H・R・D”です。
彼は元々AJSのワークスライダーでもありました。ですからレースに関しては豊富な知識や経験を持ち、1921年のマン島TTレースでは、500ccクラスのレースに350ccで参戦、見事に優勝すると言う偉業を成し遂げたりもしています。しかし、残念ながら商売においてその才能は発揮されず、設立よりわずか3年余りの後、彼はH・R・D社を手離すことになります。
#1.H・R・D
第二次世界大戦後、シリーズA-RAPIDE(1000ccVツイン)をエンジン・車体共にフルモデルチェンジして登場したのが
シリーズB-RAPIDEです。シリーズB-RAPIDEの特徴としては、
先ずシリーズA-RAPIDEで”配管工の悪夢”と呼ばれた、あの複雑なオイルラインがエンジン内に収められることによって
すっきりとした外観のエンジンになったこと、またシリーズA-RAPIDEの凄まじいまでのエンジンパワーに耐えられなかった
バーマン製トランスミッションを廃止し、それに変わるVINCENTオリジナルの丈夫な四速ギアBOXが新たに開発されたこと、
更にそれを収める為の、当時としてはまだ珍しかったエンジン及びギアBOX一体型の巨大なクランクケースも
開発されたことです。
また、シリーズB(500cc、1000cc)の車体については、それまでのプランプトン製フロントガーターフォークやコイルスプリング付リアサスペンションを残しつつ、シリーズAまでのパイプフレームを廃止し、巨大なエンジンをフレームの一部に利用した全く新しい車体へと生まれ変わりました。この他にもツールBOXを備えたデュアルシート、エンジン下の左右に取り付けられ、
フロントスタンドとしても使用できるサイドスタンド、ホイールの脱着に工具を必要としないトミ−バーを利用した前後アクスルや、操作が軽く且つ確実にエンジンパワーをトランスミッションへ伝えることができるサーボクラッチシステムなど、
シリーズBには多くの進化がありました。
シリーズB-RAPIDEは、1946年にP・C・ビンセントの故郷であるアルゼンチンで行なわれたモーターサイクルショーで初めて発表され、次いでフランスで行なわれた展示会にも出展されました。いずれにおいても最高出力45bhp/最高速度110mph(177km/h)という裏付けの取れた高性能から爆発的人気を博し、当時のモーターサイクルとしては非常に高価であったにも関わらず、注文は殺到しましたが、部品供給や生産が追いつかず、その後数年間はバックオーダーという状態が続きました。
一方ビンセントファクトリーライダーであるジョージ・ブラウンがシリーズB-RAPIDEをチューニングしたマシン(Gunga
Din)で、
各レースに出場していました。その活躍からシリーズBをベースとしたSPORTS-RAPIDE=BLACK
SHADOW(最高出力55bhp/最高速度125mph(200km/h)/巡行速度100mph)が誕生、又、シリーズAで生まれた1000ccVツインとは逆の発想で、
1000ccを「半分にする」ことにより、進化した500cc単気筒エンジンを得たMETEORやCOMETも復活しました。
#3.シリ−ズBとBLACKSHADOWの誕生
開発者でもあったP・C・ビンセントは、シリーズB-RAPIDEにおいてあまりに突出していたエンジンの高性能さから、
更なる足まわりの強化が必要と考え、従来のガーターフォークと、当時普及し始めたばかりの
テレスコピックフォークを融合させた新しいフロントサスペンション
”ガードローリックフォーク”(左右のフォ−クブレ−ドはBristol Airclaft社のL40鍛造アルミニウムを使用。)
を開発し、リアサスペンションでは、二本のスプリングBOXの間にオイルダンパー(VINCENT製とArmstrong社製が選べました。)を付け加え、前後共に強化された足まわりを持つシリーズCが誕生しました。
このシリーズCは1948年に登場しましたが、下請け会社からのガードローリック用の部品供給が間に合わず、しばらくの間
ガーターフォークのシリーズBが併売されていました。その後部品供給が順調になると、シリーズCの生産も波に乗り始め、VINCENTの歴史上、最も多く生産されたシリーズとなりました。
シリーズCではBLACK SHADOWを更にチューニングしたBLACK LIGHTNINGや、COMETをチューニングしたGRAY
FLASH等の市販レーサーの他に、アップハンドル・小径ホイール・深いフェンダーを装着したツーリングモデルも作られました。
シリーズC登場の翌年の春、アメリカでのセールスツアーに出かけたP・C・ビンセントは、それまでのガソリンタンクやタイミングカバー、タペットキャップ等に使用していた「H・R・D」のロゴが、当時アメリカですでに台頭していたHARLEY-DAVIDSONと間違われることがあると知り、帰国後直ちに「H・R・D」から「VINCENT」へとロゴを変更しました。
P・C・ビンセントとP・E・ア−ヴィングをはじめとするVINCENT技術者の英知をあますところなく発揮させ、
見事な完成度を持つVINCENTシリ−ズの中で頂点を極め、
世界最速の二輪車と謳われたシリ−ズCはVINCENT史上最も輝かしい時代の傑作と言えます。
#4.シリ−ズCとVINCENTの黄金期
A-RAPIDEエンジン。The Plumber's Nightmere
A-RAPIDE. 1000cc V-twin
B-RAPIDE後期のエンジン。
左のエンジンと比べてタイミングカバ−がすっきりしています。
プロトタイプのB-SHADOW。市販では使われなかった。
5インチスピ−ドメ−タ−が付いています。
B-RAPIDE初期のエンジン。
タイミングカバ−のオイルラインが特徴です。
当時のVINCENTファクトリ−。
フレ−ムを持たない機構が見て分かります。
1940年代の広告より。BLACKSHADOWは発売当初、
SPORTS RAPIDEというサイドネ−ムがありました。
1940年代後期のVINCENTファクトリ−内部。ずらりと並んだリアフレ−ムメンバ−。
ガ−ドロ−リックフォ−クの図。
Cシリ−ズの代名詞です。
C-BLACKSHADOW。
C-SHADOWエンジン。息をのむ造形美です。
SMITHS社特注のSHADOW用メ−タ−。
初期型は目盛の刻みが多いのが特徴で、
画像の物は、後期型です。
VINCENTを語る上で避けて通れないのが、数々のサ−キットで活躍したVINCENT
SPECIAL BIKEです。
C-BLACK LIGHTNING
VINCENT市販ラインアップの中で最もグレ−ドの高いコンペティションモデル。
B・C・Dシリ−ズの中で約33台が生産され、1台1台オ−ナ−の好みによりモデファイがなされており、
2台として同じバ-ジョンがありません。BLACKSHADOWベ−スにハイカム(MK2カム)・ビッグボアTTキャブ・ハイコンプピストン
マグネシウム製ブレ−キパネル・アルミリム(F21/R20)・強化コンロッド等々のチュ−ニングを施した最強のモデルです。
車両・部品共に今現在最も入手が困難な車両です。
B-BLACK LIGHTNINGプロトタイプとロリ−・フリ−(中央)。
ロリ−は、このLIGHTNINGをアメリカ ユタ州の塩湖(ボンネビルフラッツ)で世界最高速に挑み、1948年に240.05Km/hを記録しました。
これは当時ス−パ−チャ−ジャ−無しの二輪車では最も速い速度でした。
写真の車両が後のBLACKLIGHTNINGとなります。タンクに貼り付けられたペガサスのシ−ルは当時スポンサ−だったMOBILです。
また右の画像のフォ−クはブランプトンフォ−クに黒いテ−ピングをしているのが分かります。
海水パンツに革靴スタイルのこの画像は、VINCENT関係で最も有名な一枚でしょう。
C-GREY FLASH
コメットエンジンのチュ−ン版がこのグレイフラッシュです。ハイコンプピストン・アルミ合金製ビッグエンド・MK2カム
ビッグボアTTキャブ・レ−シングマグネト−・クロスミッション等々のモデファイがなされています。
二輪/四輪の世界チャンピオンのジョン・サ−ティ−スは、青年時代にこのグレイフラッシュを操り、連戦連勝を果たしました。
LIGHTNING同様に希少性の非常に高いモデルです。
左 Gunga Dinと ジョ−ジブラウン。 Gunga Dinは、B-RAPIDEのエンジンを極限までチュ−ニングを施したマシンで、
BLACKSHADOWのル−ツになった伝説的なモデルです。このGungaは、レ−スレコ−ドを幾つも塗り替え、
二輪が四輪に勝利することがなかった時代にそれを覆しています。
右 VINCENT-NERO。 VINCENTを語る上で欠くことのできない天才チュ−ナ−兼ライダ−のジョ−ジ・ブラウンと弟のクリフ・ブラウンが
製作したマシンがこのNEROです。エンジンは、右のGunga Dinを用い、ブラウン特製フレ−ムに、AJSのフロント廻りとVELOCETTE系の
スイングア−ムで1953年イギリスのペンダインにて150マイル=240Km/hを記録しました。
このNEROの他にス−パ−チャ−ジャ−を搭載したSuper-NEROと呼ばれるドラッグレ−サ−も作られました。
C-BLACKSHADOW レストアレポ−ト
下のマ−キュリ−をクリックして下さい。
350ccのAJSに乗り、500ccクラスで優勝した時の画像。
#2 パ−ツ入手編
#3 準備編
#4 メッキ・ペイント
#5 車体・シ−ト
#6 エンジン仮組
#7 BLACK JEWEL
#8 車体完成