銭湯 (2001/02/07)
熊さんの風呂の入り方には、まったくもって習慣が無かった。

あるときは、風呂場に現れるや否やシャワーを頭からかけたかと思うと、 立ったままの姿勢で頭を洗い始め、すすいだらそのまま体をごしごし大きなストロークで洗う。 そしてだばーんと湯船につかるのであった。 またあるときは、洗面いすに腰掛けたまましばらくぼおっとしていて、 やがてゆっくりとタオルを水にぬらし、背中ばかり何度も洗い、 ほかは案外あっさりと洗い、最後に頭にシャンプーをかけ、 また10分ぐらいかけてがしがししていたりする。 またまたあるときは、頭を洗ってから体を洗い、そのあと再び頭に専念することもあった。 ときには、シャワーも浴びずに湯船に直行してくることさえあった。

顔の髭だって、そんなに目立たないのに丹念に剃っている日もあれば、 頬が黒々しているのにもかかわらず、シャコシャコすすぐだけのときもあった。 そして大抵の日は髭剃りを手にしなかった。 僕は、日にちを5で割った余りが2になる日に必ず髭を剃る、という仮説を立てたが、 それは7月27日に反例が示された。

僕は熊さんについて知っていることは風呂場でのことがすべてであった。 熊さんの私生活については何にも知る由も無かったし、 熊さんのほうにしたって、僕のことなど何にも気にとめてはいなかったであろう。 ただ時折、熊さんの顔見知りとおぼしき人が「お、熊さん」と呼びかけるので、 この人物が「熊さん」であるという事を知っているだけだ。 そんなとき熊さんは「ん」というだけで、それ以上何の会話も成立しないのだが。

熊さんは、風呂場ではとりわけ目立つ人物であった。 僕はもとより人を識別することが苦手である上に、眼鏡なしではろくにものが見えないのであるが、 熊さんにいたっては、そんなことは関係なく目立つのであった。 いや、注目せざるを得なかった。 まず、何をするのにも豪快であった。 身振り手振りが大きいというのではなく、なんと言うか、そういう雰囲気を醸し出しているのである。 殺気というには暖かくおおらかで、寛容さというほどには親密ではない。 何とも形容しがたいが、おそらく、豪快という言葉が一番近い。 そして何より、背中には立派な龍が描かれていた。 はじめそれを見たとき、僕は正直言って狼狽した。 えっ、ここはそういう方の入場を固くお断りしていますじゃないのか、 ちょっと冗談じゃないよ、と。 しかし時が経つにつれ、それはいささか長い「時」ではあったが、 この人は別に害のある人ではないということを感じるようになってきた。 隣に座られちゃうと、シャワーのお湯をかけないようにとか 思わず気をつけてしまうのだが、でもその程度までになった。

ある日、そんな熊さんの風呂の入り方に、僕はひとつの法則を見つけた。 それは、湯船に入るとき必ず頬を2回、両手で叩くことであった。 風呂場にぴちゃ、ぴちゃ、と豪快に2回、響き渡るので聞き逃しようが無かった。 それはどんなに体を丹念に洗っていた日も、 何もせずに湯船に入るときもいっしょだった。 最初にこの規則を発見したとき、僕は思わず微笑んだ。 別にぜんぜんたいしたことではないのだが、なんだか嬉しくなってしまった。 風呂場に熊さんがいる。おお、湯船に向かうぞ。ざぶーん。ぴちゃ、ぴちゃ。 おお、今日もやってる。 僕はぴちゃ、ぴちゃを聞くのが風呂場での楽しみのひとつになった。 僕も熊さんも風呂を訪れる時間はいつもばらばらであり、 毎日出くわすわけではなかったが、 熊さんが風呂場にいて、ぴちゃ、ぴちゃを聞くと、 ああ、明日はいいことがありそうだ、という気さえするのであった。

いつ頃からか、熊さんが銭湯にやってくることはなくなっていた。 べつにどうしたというわけでもないが、気づいたらそうであった。 熊さんは二度と銭湯に姿をあらわさなかった。 僕はこれまでどおり日々働き、そして銭湯に通う。 今日は昨日の繰り返しであり、昨日はおとといの繰り返しであった。 やがて、僕は熊さんのことは忘れてしまった。 それは、学生時代のクラスメイトの一人一人について忘れてしまうように、 自然なことであった。 日常の繰り返しが、砂漠の砂のようにいろんなものを少しずつ消していき、 後に残るのはなだらかな起伏であった。 過去のすべてはそのように平均化され、不思議な穏やかさに包まれていった。 その中に思い出すべきことがあったとしても、 「思い出すべきであった」ということさえ、気づかぬうちに埋もれてしまう。 仕事やら日常はだんだんと僕を侵食し、過去の砂漠化は加速していくばかりであった。 そしてそこから何も生み出されることはなかった。

数年後、僕は熊さんと偶然出会うことになる。 当然、そこは銭湯ではなかった。 そこそこ大きな駅の周辺に形成された、そこそこ賑やかな商店街の中であった。 僕は近場の出張の帰りであり、ネクタイを緩め、幾分くたびれた鞄を手にしていた。 熊さんは、ポロシャツを着ていた。 そして、ひとりではなかった。 小柄の女性と、二人の子供が一緒だった。 幸せそうだった。 僕はただ素直にそう思った。 ああ、この人はいま、幸せなんだな、と。 僕は歩きつづけた。 当然ながら熊さんは僕に気づくはずはなかった。 相変わらず寡黙ではあったが、 その表情はわずかにほころんでいる、そんな風に見えた。 僕は、すれ違いざまに、ほんの小さな声で「お、熊さん」とささやいた。 それだけだった。僕は振り向かなかった。うしろで「どうしたの」という女の声が聞こえた。 そのあとで熊さんが「ん」といったが、それはもう町の喧騒のなかにほとんどかき消されていた。 僕は熊さんが風呂場で頬を打つぴちゃぴちゃという音を思い出した。 きっと、今でも子供たちと風呂に入りながらそうしているだろう。

目頭が熱くなった。 変な話だと思う。 話すらしたこと無いような間柄の人間に対して泣くなんて。 でも僕はすぐに、この涙は熊さんに対するものではないことに気づいた。 僕自身の得そこなってきたもの、もしくはそれは失ってきたものかもしれない、 について泣いているのだった。 あふれ出る涙はどうしようもなかった。 僕は駅まで急ぎ、トイレに入って泣いた。 泣きながら、この前に泣いたのはいつだったか考えたが、思い出せなかった。


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