− 序章 −
ソル星系。人類の故郷、太陽系地球。地球の唯一の衛星、月。
月は、人類がその一歩を記した最初の地球以外の天体であり、宇宙進出の時代に入ってからは人類の銀河進出の出発点であった。
月は、およそ45億年前に原始地球と微惑星との衝突=ジャイアントインパクトによって形成された。質量は、地球の12%であり、構成物質の大半はジャイアントインパクトによってふきとばされた原始地球の表面殻(軽い物質)である。月の公転周期は、27.3日で公転周期と自転周期は等しいため常に一方の側を地球に向けている。秤動による月の運動をくめても地球からはその60%しか観測することが出来ない。のこりの地球からは直接観測できない40%、つまり月の裏側には、月面不整合とよばれる地殻が異常に厚い部分が存在する。何らかの原因で本来の月の表面に大量の土砂が覆い被さったといわれている。
月面開発は、当初、月の表側(地球に向いている側)の「海」とよばれる比較的平坦な部分から始まった。地球−月系をひとつの重力井戸とみなせば、月は、地球の遥か上に位置している。月からモノを落とせば、地球に落ちる。月面に設置された巨大なマスドライバーによって地球に向けて貨物を射出する事により、地球から月に運び上げるのとは桁違いの低コストで輸送が可能になる。結果、膨大な鉱物資源が、月から運び出された。月には、採掘によって縦横無尽にトンネルが掘られ、それらは月世界の基盤としてやがて巨大な地下都市へと発展していった。
都市連邦軍の中枢である統合作戦本部は、月の裏側=月面不整合層地下に建設された。最深部で800m、120km四方の広大なジオフロントに300以上のセクションが集積している。連邦軍のメインセンターとして機能し、全軍への指揮を行う。事実上の都市連邦の中心であり、ここはマリアラインをはじめとする幾重の防衛網が鉄壁の守りを固めている。
銀河標準暦00548。すべては、月軌道上の異変から始まった。
「出現」
銀河標準暦00548。絶対防衛線マリアラインの向こう側での、第5、第6、第7の各機動艦隊群のめざましい活躍によりシリウス帝国軍との戦いは、都市連邦有利という状況で推移していた。帝国軍は、依然としてマリアラインに近づくことも出来ず、連邦の守りは揺るぎないものとなっていた。
月の軌道上には、地球との重力的な安定点=ラグランジュポイントが2つある。L4ポイントとL5ポイントである。ここでは、重力的に釣り合いがとれており物体を安定して存在させることが出来る。このため、大型のコロニー、宇宙港などが、このポイントに建設された。L4ポイントには、直径8000m、全長58000mクラスの超大型コロニーが3基建設され、地球経済圏の宇宙への窓口として機能していた。
銀河標準暦00548ものこり数ヶ月をのこすのみだった。すべては、予期された出来事をなぞるかのように静寂な時空間のなかをすぎていくかのようにみえた。しかし・・・調和は突如破られた。L4ポイントを激しい重力震がおそった。重力震は、コロニー群に少なくない被害を及ぼしたが、それ以上に人々を驚愕させたのは、重力震とともにワープアウトしてきた大型の戦艦だった。
戦艦は、都市連邦のいずれの艦艇とも異なり、明らかに連邦軍の艦艇ではなかった。また、その形状はそれまで連邦軍が確認したいずれの帝国軍艦艇ともことなっていた。さらに連邦軍艦艇以外存在し得ない宙域に突如として未知の艦艇が出現したことは、それまでの連邦の防衛システムがすべて無意味になったことを意味していた。
突如出現した戦艦は、船体の各所に無数の損害が認められる状態だった。連邦軍は、直ちに厳戒態勢をひき、正体不明の戦艦出現に対処する体制を整えた。
連邦軍にはいった第一報は、船体に艦名を確認することが出来たというものだった。少なくとも人類の船であることだけはたしかだった。
戦艦出現から1時間が経過した。戦艦は、出現してから依然沈黙しておりコンタクトと思われる情報は発生していなかった。
この1時間で様々な事実が判明した。まず、戦艦は、連邦領域からジャンプしたものではないということが判明した。また、近隣の帝国領域からジャンプしたモノでもなかった。現在の恒星間航行技術では、艦艇に搭載されるハイパードライブでは、せいぜい、数光年がジャンプの限界といわれている。高位次元のハイパドライブを観測するレーダー技術が発展した現在では、警戒網をくぐりぬけてハイパードライブを駆動することは事実上不可能といえる。(*レーダー技術は、高位次元と通常次元との相互変換を検出する。検出結果からジャンプベクトルと質量、距離などが推測できる。)戦艦が、ワープアウトした時点のレーダー情報と発生した重力震から計算した結果は、さらに驚くべき事実が含まれていた。重力震のエネルギーと戦艦の質量、そしてレーダーで検出されたワープアウトのエネルギー、ベクトルなどの各情報から算出すると、戦艦は、少なくとも5000光年をジャンプしてきたことが判明した。あり得ざる場所に、あり得ざる物体、そしてあり得ざる数字が、連邦軍の前に存在していた。
5000光年をジャンプした戦艦、その事実は危険な輝きをおびながら沈黙を守っていた。
これら1時間で判明したこと、そして謎に対して答えを得るべく沈黙を続ける戦艦への突入部隊が編成された。
「接触」
突入部隊は、戦艦中央部の居住区と思われる区画にちかい場所から進入を開始した。エアロックは、簡単に発見できた。しかし、船体の破損が当初の予想を上回るほどひどくエアロックも外部隔壁が完全に破損しており、隔壁をエアガードで空気を満たし完全に封鎖した状態で突入作業が行われた。
外部隔壁の除去に成功すると、恒星間宇宙船特有の2重エアロックの構造が彼らの前にあらわれた。幸いなことに、エアロックは、外部隔壁と第1ルームを破損していただけで、内部には破損が見られなかった。
突入部隊は、内部隔壁をカッターで除去した。このあたりは、電源が落ちているらしく隔壁ドアーは稼働しなかったためだ。内部隔壁に穴が開くと、エアガード内部の気圧と艦内との気圧差のためか空気が内部から噴出した。
第2ルームには、空気があった。早速、組成成分の調査が行われた。結果は、予想通り、地球大気に似た構成だった。しかし、バイオハザードによる危険性もあるため隊員は宇宙服のまま調査を進めた。
第2ルームから先は、順調に突入は進んだ。予備電源に切り替わってはいたが、電源も内部は生きていた。通路の壁には、奇妙な模様で飾られてはいたが、通路の進行方向を表すプレートがあちこちにあっり、プレートには古い単語が使われていたが、十分理解できる内容だった。
突入部隊は、数隊に分かれて「艦橋」「中央演算室」「生命維持室」とかかれたブロックへ調査を進めた。
艦橋には、人影はなかった。このブロックも、予備電源に切り替わっており、薄暗い環境の内部には船体の各種状況を表しているコンソールがいくつか輝いているだけだった。そして、そこにも奇妙な模様がみられた。
中央演算室には、複雑な液体パイプの迷路が部屋を占領していた。現在主流の冷却を必要としない光ロジックコンピュータを予想していた調査隊の前にひろがる、液体冷却しているコンピュータと思われる機械は、隊員にとって機械群に施された奇妙な模様とともに異様な意味のあるかのようなパイプの集合体に覆われており、言いしれぬ不安が隊員の間にひろがっていた。
生命維持室は、まさにその名の通りの場所だった。そこには、冷却冬眠に入っていると思われる人間がカプセルの中に横たわっていた。
そして、隊員たちがそのカプセルを確認しようとした瞬間、それまで凍り付いていたかのように静止していた時間が刻み始めた。
「目覚め」
ライア=“デル”=ミケーナの目覚めは、最悪だった。
いにしえの人々が、たどりついた宇宙を表す方程式=高位次元変換理論。そこから応用としてハイパードライブなどが成立した。“デル”=ミケーナがよこたわっていた、カプセルもそうした宇宙の姿を決定する理論に少しばかり手を加えたものだった。ライア=デル=ミケーナの属する紋章世界でも過去に前例のない5000光年のハイパードライブ。生体への影響も未知数の危険な航海から乗員を守るために特殊なカプセルが必要だった。次元的な影響から乗員の生命を守る遅延睡眠カプセルである。カプセルは外部から見ると巨大な冷凍冷却装置のようにみえる。実際には、生体活動を限界まで低下させるパーシャル状態の維持装置および高効率の高位変換を達成するための補助加速装置から構成されている。生体活動の次元的な遅延を目的とすることから遅延睡眠とよばれている。宇宙の真理そして理解にもっとも近い英知の結晶である紋章世界の物理科学で高い栄誉である“デル”の称号を名前に持つ彼女にとっても、遅延睡眠が引き起こす心理的な圧迫感からは逃れることが出来なかった。
・・・航法コンピュータのワープアウトを告げる信号は、艦内の各セクションを管理するコンピュータを呼び覚ました。5000光年という途方もないハイパードライブは、ハイパースペース与える圧力により船体各所に無数のダメージを与えていた。幾重にも厳重に管理されている航法コンピュータですら、メインは損傷のために停止、バックアップがかろうじて動作しているという状態だった。
それはまさに奇跡ともいえる状態だった。
航法コンピュータが与えた信号は、艦内の停止していた各セクションのコンピュータを再起動させた。信号回線には、起動信号、状態確認信号が無数に行き交った。
・・・生体維持管理コンピュータは、航法コンピュータからの目的地到着の信号を受け、乗員の生体活動の回復フェーズを実行開始した。ライア=デル=ミケーナのカプセルにも回復フェーズをスピンアップさせる信号が流れた。
(・・・クラクラ・・・する。)
遅延睡眠から目覚めたばかりの乗員にあらわれる、思考の混乱、視力の低下など遅延睡眠症候群ともよばれる諸症状が彼女に覆い被さっていた。
(・・・)
徐々に視力が回復してくる。遅延睡眠からの回復は個人差にもよるが徐々に数時間をかけて通常の状態に回復する。
(・・・)
「ピ、ピ、ピ、…」
心拍数、細胞の磁気共鳴が順調に回復していることをしめす、ビープが規則正しくなる。
(どうやら、いきているみたい…)
ライア=デル=ミケーナに託された使命。遅延睡眠からの目覚め。シリウス帝国によって危機的な状況に陥った紋章世界の存亡を賭けた一大計画は、成功へとその最初の一歩を踏み出した。
「出発」
戦艦出現から、2ヶ月が経過した。都市連邦は、ライア=デル=ミケーナをはじめとする紋章世界の科学者(であり政治家でもある)たちの要請にこたえるべく、第8機動艦隊群アルファリンク艦隊を急遽編成。紋章世界への連邦史上最大の超長距離航海へと艦隊をすすめた。シリウス帝国の勢力下を突破し、都市連邦のすべての防衛システムが無効になってしまう技術を有する紋章世界がシリウスの手に落ちる前に...。